鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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5) iゼロ次元」の活動を,近代的なジャンル化した芸術表現の様式や記号体系によっまざるをえなかったし,まして,このような時点で書かれた本論は,このグループの思想性や歴史的な意義にまでふみこんで論じることは不可能である。そこで,今回の助成による調査の中で、初めて浮かび、上がってきた今後の研究のためのいくつかの可能な焦点を列記して本論を終えることにする。1) i裸踊りJi尻の穴に蝋燭を突っ込む」というような「ゼロ次元」の反知性的で下品なイメージとは裏腹に,実は彼らの膨大な実践は,椴密なプランニングや巧妙な戦略,そして1960年代のみならず日本近代社会全体に対する徹底した批判精神に支えられていたこと。に,相当にダイナミックな展開を示していたこと。3) iゼロ次元」のコンセプトを対外的にアジテートする役割を加藤好弘が担い,かつ,彼の宗教的な用語を用いた思想によって「ゼロ次元」が主導されたことは確かではあっても,それが「ゼロ次元Jを主導した唯一の思想であったかどうかは検討の余地があること。特にモダニズム的な明快さと「デロリJとした美やキッチュへの好み,反エリート的な庶民志向,後の歌舞伎製作につながるような祝祭性と物語性を資質的に持つ岩田信市が主導した場合の儀式と,加藤が主導した場合,両者のコラボレーション的な場合とを,さらなるインタビューや資料収集によって明らかにしていく必要があること。4 )男性向け週刊誌にしばしば取り上げられる理由となった裸によるポルノ的な外観とは裏腹に,直接に通常の異性間性関係を扱った表現は,乱交パーティー状態だ、ったという(注16)1964年11月の内科画廊での「エロス博物館」などを除いて多くはない。また,街頭で儀式を行うときに街のほうが行為者をいっせいに見返すという感覚(注17)や,rシベール』を含みしばしば登場する,女に裸の男たちが踏まれる場面は,サデイズム的というよりはマゾヒズム的である(注18)。その意味では,加藤がその活動の結論として性器的ではない全身のエロスを『いなばの白うさぎ』で志向したことから,初期や中期の儀式を見直してみることも可能で、ある。それは結果的には1960年代末の性解放や自然回帰の流れに呼応して見えるが,iゼロ次元」特有のエロスのあり方を個別に考えてみる必要がある。て解釈するだけではなく,日本の近代以前の広範な文化一一たとえば祭礼や儀式を伴2 )単純な行為を延々繰り返しただけのように見られがちな儀式の様式が,10年の聞370

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