鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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で1975年6月に発行した雑誌に『月刊ゼロ次元』という名をつけている。というのはストリーキングが日本で流行した年からの推測である)。ただしこれ以後も「ゼロ次元」という名称が使われている週刊誌記事はあるし,加藤は自分同2000年11月11日の岩田信市への筆者のインタビューによる。同加藤は下記のようなことをゼロ次元当時からたびたびインタビューで、語っている。「僕達が走る時,街の全ての事物も僕達と同じように裸の素顔を露出した。実に僕達の肉体を『東京の街』が見つめる『視線』の中に,その銀座が身にまとっている外皮がアッと脱がされ,その正体を『東京見物Jしたいがために『ゼロ次元』は『裸」になったのが本音でもある。」加藤,前出『裸眼tp. 7 回しかしマゾヒズムを加藤は否定している。「足立正生インタビュー.3 加藤好弘一けんらんたる白日の翰晦儀式Jr美術手帖j,1971年3月,p.154 同加藤はゼロ次元時代の途中から詳細な夢の記録をつけ,のちに様々な哲学・宗教の研究によって夢の解読法を見いだした。本論Iの最後に述べたようなゼロ次元の行為における不合理性の不気味さと,加藤の夢思想、が結合したのが,彼がミヅマアートギャラリーで2001年6月に発表する予定の近作絵画であろう。側前出「足立正生インタビュー・3J,pp.144-5 373

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