⑥近世肖像彫刻の研究研究者:福岡市博物館学芸員末吉武史日本美術史におけるこれまでの江戸時代彫刻の評価は概して低く,とりわけ仏像彫刻に関しては美術的価値が低いという理由でほとんど顧みられない状況であった。ただ近年になって彫刻史研究の分野でも伝統的な仏師による江戸時代の作品を再評価する動きがあらわれており,その研究成果によってこれまでわからなかった江戸時代彫刻の性格が少しずつ明らかになっている(注1)。江戸時代は膨大で多様な作品が制作された時代であり(注2),この中から近世彫刻の本質について指摘することは大変困難な作業である。ただ多くの作品に混じって俗人の肖像彫刻が少なからず制作されたことは,中世との違いとして改めて注目されてよいと考える。近世の俗人像は初期には大名など上層階級の像が多いものの,年代の下降とともに一般の武士,あるいは富裕な商人,また様々な事情で庶民の像も制作された。そしてこれらの肖像は造形的にはいわゆる「人形的」である(注3)として類型化の極みにあるものが多いことは確かであるが,中には独自の表現を追求した優れた作例も認められる。また作品にまつわる様々な記録は,肖像彫刻の本質を知る上でも興味深い事実を提供するはずである。ここでは上記のような視点に立ち江戸時代における肖像彫刻,とりわけ俗人像について調査結果を報告するものである。以下,像の表現と像主,造像にいたる事情について個別に分析し,多様な江戸時代彫刻の本質に近づく試みとしたい。像高64.8センチ。玉眼,彩色。形状は烏帽子を被り手には扇子と万を握り,小袖を着て正面を向き右脚を前に半蜘に坐る。材質は頭部キリ材,体部クス材である。構造は頭体別材で頭部は耳前で割り離して内割りし,玉眼骸入のうえ挿首。体幹部は肩の内側で三材を寄せて内制りするが,腰のあたりで棚状に割り残しているのは特徴的である。その他両肩,膝前材等を寄せる。現状では全体に胡粉がヲlかれ,白装束のようになっているが,これは後補の彩色である(注4)。背面および体内背面下部に墨書銘が認められる。背面の銘は「襲奉刻彫御影之事/後藤伯香守藤原貴明公尊像也/令安置於芦原之村光明寺者也/住持一惇史悌師感定軒敬俗人像を中心に一一(1)木造後藤貴明像佐賀・貴明寺蔵〔図1J -377-
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