4月11日付,ロダン宛本保書簡には,i1907年4月6日のムードンにおけるロダン〉王(1) 沼田一雅のロダン宛書簡1904年10月3日付,パリ・ロダン美術館蔵(2) 本保義太郎のロダン宛書簡1907年4月3日付,本保義太郎のロダン宛書簡(3) ポール=ルイ・クーシューのロダン宛書簡1905年12月31日付(4)武者小路実篤「或る男Jr武者小路実篤全集第五巻』小学館昭和63年8月(5) 有島壬生馬のロダン宛書簡1911年10月25日付,パリ・ロダン美術館蔵(6)安富成中「欧州便り(第五信)Jr八紘J第11号大正14年6月(7) Claudie Judrin,“Rodin et le Japon", Rodin et ['extreme-Orient Musee Rodin, 1979, (8) ロダンの稲垣吉蔵宛書簡1913 (大正2)年2月10日付(9) ロダンの稲垣吉蔵宛書簡1916 (大正5)年1月6日付参考文献・千田敬一編「ロダン美術館に残っている荻原守衛関係資料についてJr珠山美術館報第11号』禄山美術館,1990年7月10日-山浦健夫「パリにある藤川勇造関係の手紙Jr礁山美術館報第12号J磁山美術館,1907年4月11日付,パリ・ロダン美術館蔵,1907年1月31日付,アルベール・カーンのロダン宛紹介状。との面談が,両者にとっての初対面であった」という意味のことが明記されている。196-97頁avril. 同ロダンの稲垣吉蔵宛書簡1916 (大正5)年4月24日付ω「奮闘の人努力の人世界的彫刻家稲垣吉蔵君Jr八紘』第34号昭和2年5月8日32~37頁1991年7月10日・下山肇「ロダンのデッサンと日本いかに伝えられ,評価されたか(明治30年代から大正後期まで)-J rロダンの水彩画とデッサン展』図録静岡県立美術館,1999 年10月-拙稿「不開催に終わったロダン・デッサン展をめぐってパリ・ロダン美術館所蔵-29-
元のページ ../index.html#39