鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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面部は眉を描いている。胸元に見える肌着は群青,其の上の着物は小紋の模様を描いた緑,羽織は黒に塗り花菱の家紋を書く。また羽織の紐は実際に布製の紐を用いている。像底に墨書銘があり,1肥後園手/黄玄朴像/人形師/松本喜三郎作jとあり,像主と作者が判明する。像主黄玄朴は熊本藩の典医であった人物であるが,その他の詳しいことは不明である。いっぽう松本喜三郎は有名な生き人形師で,その作例には現存の熊本市浄国寺に残る谷汲観音像など見世物として使われたもののほか,熊本市来迎寺の聖観音像のように純粋に仏像として制作されたものもある。しかし本像のように喜三郎作で完全に実在の人物をモデルにしたものは他にないと思われ極めて貴重で、ある。作風はさすがに生き人形師らしいリアリティが全体に認められ,老齢の像主の風貌〔図7Jや像主の身体的特徴と思われる後頭部の一部が突出した形状など,小像であるにもかかわらず極めて細かく像主のありのままを写していることが認められる。したがって本像は像主存命中の寿像であると考えられる。喜三郎は仏師の出身ではないといわれるが(注9),これは芯を含むー木造りとする構造などからも証明される。ただし,像の奥行きおよび頭部の体部からの突き出し方は非常に太造りかつ豪快で,立体の量感を遺憾なく表現できていることは当時の標準的な仏像作例などと比べると特筆すべきことであろう。本像は伝統的な仏師が制作したものではなく,木寄せの方法も全く独自の工夫のあとをみせるものではあるが,かえってそれが造形を萎縮させず力のある造形表現を可能にしたようにも思われる。像高36.2センチ。着物を着て手に何かをもつかのような姿勢で正面を向いて坐る剃髪した女性の像である。材質はヒノキ材。構造は頭体別材で頭部は面部を割り放して玉眼翫入,挿首とする。体幹部は現状では彩色および像底板のため詳しい構造は確認できないが,両方の肩,管,手首で矧ぎ,膝前材を寄せる。彩色は胡粉下地で全体に施される。像底膝前材の部分に二種類の銘文が記されている。まず陰刻銘で「野村望東氏之肖像/施主/今紫」とあり,さらに朱漆銘で「福岡市福岡呉服町/大悌師高田又四郎作Jとある。これにより,本像が野村望東尼の像で,今紫という人物が施主になったこと,さら(5)木造野村望東尼像福岡・個人蔵〔図8) 382-

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