鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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@ 対抗宗教改革期におけるヴ‘ァラッ口のサク口・モンテ研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程大野陽子はじめにイタリア北西部,アルプスに近いヴァラッロの町を見下ろす山の上に,聖母被昇天大聖堂と45棟の礼拝堂からなるサクロ・モンテと呼ばれる複合宗教施設がある〔図1J 〔図2J 0 (礼拝堂内に),風景や建築物や群衆を壁面や天井にフレスコ技法で描き,そのフレスコ画を背景に等身大の彩色彫像を配すという独特の構成で,キリストの生涯の様々な場面が表されている〔図3J 0 15世紀末に巡礼地として創建されたこのヴァラツロのサクロ・モンテに対してミラノ大司教カルロ・ボッロメーオ(1538-1584)とノヴァーラ司教カルロ・パスカベー(1550-1615)が寄せた関心については,1980年代以降,ジェンティーレやロンゴらが古文献の綿密な調査に基づいて研究を進めている(注1)。しかしながら,パスカベーの指示によってフレスコ画に導入された新しい画面構成一一複数の連続する場面の異時間図法による表現や,旧約聖書を典拠とする額絵や聖句の記された巻紙を持つ天使を組み入れた画面構成〔図4J一ーには,殆ど注意が向けられたことがない(注2)。論者はかねてより,この新しい構成が対抗宗教改革期におけるヴァラッロのサクロ・モンテ再編構想の中でどのような意義を持っていたのかを解明しようと試みてきた。現在では,礼拝堂配置と内部装飾の関係に着目して研究を進めている。紙面の都合上,本稿では,16世紀末の北イタリアにおけるサクロ・モンテの隆盛とその思想的背景を紹介しながら,様々なサクロ・モンテの特色を検討することで,ヴァラッロのサクロ・モンテ独自の構想とそれがもっ問題点を明らかにしたい。1 )サクロ・モンテの再興とカトリック改革イタリアのアルプス周辺地域には,15世紀末から18世紀の聞に建立された数多くのサクロ・モンテが確認できる(注3)。その多くが16世紀末から17世紀前半にイタリア北西部に創設されたものである。創建が15世紀末に遡るヴァラッロのサクロ・モンテにしても,現存する礼拝堂や彫像やフレスコ画の多くは,16世紀半ば以降に建立され,制作されている。事実,ヴァラッロでは,16世紀半ば頃から停滞気味であった礼拝堂1 16世紀末におけるサクロ・モンテ-387-

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