口。つd義J(注9)を主題とするサクロ・モンテ建設を発案したのが,クレアのサクロ・モン2 )北イタリアにおける新たなサクロ・モンテの建設3 )礼拝堂配置ヴァラッロの再編期である1590年代から1610年代にかけて,イタリア北西部ではヴアラッロに倣って,クレア,オルタ,ヴァラツリーノ,マッセラーノ,ヴァレーゼ,アローナの各地に相次いで,サクロ・モンテが創建された〔図5)。そのうち,ヴァラツリーノとマッセラーノのサクロ・モンテは小規模なものであった(注8)。一方,クレア,オルタ,ヴァレーゼはその地へのサクロ・モンテ建設以前から,ヴァラッロのサクロ・モンテと同等の規模の巡礼地であった。クレアには,12世紀に聖エウセピウスがその地に持参したとされる聖母像を安置した聖堂が巡礼者を集めていたo1589年に司教座聖堂参事がその周りに「ロザリオの玄テの始まりである。オルタの場合も,10世紀頃にはオルタ湖を見下ろす丘の頂きにミュラの聖ニコラウスの聖堂があったという。1583年にオルタの住民はこの丘の上にアッシジの聖フランチェスコの生涯を王題とするサクロ・モンテを建設することを決定した。サクロ・モンテの管理者としてフランシスコ会の一派カプチン会が呼ばれ,同修道会の修道士クレート・ダ・カステレットの設計に基づいて1590年に造営が始まった。同様にヴァレーゼも古くから聖母に献げられた巡礼地であった。町の近郊の山上には4世紀末頃に建てられたとされる聖堂があり,それは11世紀頃からく山上の聖母マリア〉と呼ばれていた。カプチン会の修道士アグッジャーリがこの古来の聖母信仰を基に「ロザリオの玄義jのサクロ・モンテ建設を発案し,1604年から99年にかけて礼拝堂が建てられた。一方,マッジョーレ湖畔の町アローナには特定の信仰対象はなかった。この地にサクロ・モンテ建設が持ち上がったのは,そこが1610年に列聖されたカルロ・ボッロメーオの生地だからである。オブラート会の修道士グラッタローラが聖人の生涯を表すサクロ・モンテ建設を発案し,カルロの甥でミラノ大司教のフェデリコ・ボッロメーオの後押しで,1604年に最初の礼拝堂が着工された(注10)。上記6つのサクロ・モンテには未完のものや,最初の計画が後に縮小されたものが含まれる。しかし,わずず、カかミに5札拝堂が崩壊寸前の形で全容が不明のままのマツセラ一ノを除けば,創建時に予定されていた礼拝堂配置は当時の記録や現状に基づく再構成がなされている。ここでは,一棟の教会堂の中に10の
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