鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
400/716

つdnu 礼拝堂が設けられるという,他のサクロ・モンテと異なる形式を採っているヴァラツリーノと,再構成が困難なマッセラーノ以外の四つのサクロ・モンテの礼拝堂配置を見ていくことにする。クレアのサクロ・モンテでは,山頂に建つく聖母戴冠〉の礼拝堂まで40棟の礼拝堂が「かたつむりのように,登っていくJ形で建てられる予定だ、った。様々な事情から,初期構想は実現しなかったが,現在の礼拝堂配置にも渦巻き型の計画案の名残が見られる〔図6J。オルタのサクロ・モンテでは,丘の頂きに建つ聖ニコラウス聖堂とそれに隣接するく聖フランチェスコの列聖〉礼拝堂を終点として,丘の麓から引かれた螺旋型の道沿いに,一定の間隔をおいて礼拝堂が建っている。各礼拝堂の外壁には,巡礼者に礼拝堂の順番を示すために,続く礼拝堂の方を指さす手が描かれている。二世紀にわたる造営の聞に礼拝堂数こそ当初予定のおから24に縮小されたものの,当初の計画図と現在の礼拝堂配置の比較から,概ね当初の計画通りに礼拝堂は配置されたと考えられている〔図7J。ヴァレーゼの場合,礼拝堂はく山上の聖母マリア〉聖堂へ至る坂道を登る際にその前で祈りを捧げる留として,麓から山頂までの尾根沿いに建っている。更に,Iロザリオの玄義」が喜び,苦しみ,栄光の三つに分けられていることに対応して5礼拝堂毎に門が設けられた〔図8J。アローナのサクロ・モンテの最初の計画は,正の頂きにカルロ・ボッロメーオの生誕の部屋を移築し,それを中心に25棟の礼拝堂を建て,隣接する正の上にも同様に25棟の礼拝堂と巨大な聖カルロ像を建てるという壮大なものだった。前者25棟の礼拝堂は,聖人の誕生から司教としての活動を表すことに充てられており,丘の南側斜面にS字形に等間隔に並べられるはずであった〔図9J。一方,後者25棟は,巡礼や黙想といった彼が個人的に行った信心行為の場を偲ぶ庵であった。これらの庵を結ぶ道の整備は予定されておらず,特定の訪問順は想定されていなかった。礼拝堂が聖人伝を辿るためのものであるのに対し,庵は聖人に倣って黙想を行う場であったと推測されている。初期構想こそほほ同時期に発案されていながら,これらのサクロ・モンテは,それぞれ異なる形の礼拝堂配置を採っている。そこに見られる相違は,山や丘という,各サクロ・モンテの地勢上の立地条件に帰国するだけでなく,都市の再現を企図した「新

元のページ  ../index.html#400

このブックを見る