鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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の礼拝堂に表された場面の聞には,本来のナラティヴ・シークエンスに則った順序が求められる。従って,巡礼者はあくまで,表された場面の物語上の順序に従って礼拝堂を辿らなければならなかった。一方通行の道筋に礼拝堂を並置するという簡素で分かりやすい礼拝堂配置は,}IJ頁路を明確にすることで,礼拝堂に完結して表されて孤立した各場面が本来持っている順序を巡礼者に示すという意図の下,定められたものと考えられる。以上,見てきたように,中心主題と礼拝堂配置と内部装飾は相互に絡み合って,つのサクロ・モンテを造っている。では,これらの要素は,ヴァラッロのサクロ・モンテの全体構想の中では,どのように影響しあっているのであろうか。ヴァラッロのサクロ・モンテも中心主題,礼拝堂配置,内部装飾の相関関係から形成されている点では,16世紀末に創設された他のサクロ・モンテと変わりない。だが,その構想、には他のサクロ・モンテには見られない要素が含まれており,そのため礼拝堂の配置やその訪問順路は,他のサクロ・モンテの分かりやすく簡潔なそれとは対照的に,複雑なものとなっている。ヴァラッロでは,礼拝堂聞を結ぶ道がなかったならば物語順に礼拝堂を巡ることは難しい。巡礼者は「キリストの生涯」のエピソードを展開順に辿るために,今歩いてきたばかりの道を戻らなければならないこともあったという(注13)。このように礼拝堂配置が複雑になった理由としては,敷地が山頂の台地とそこに至る斜面から成ることや,造営の推進者が変わるたびに全体構想、が練り直されたことが挙げられよう。しかしそれだけではなく,このサクロ・モンテが「擬似空間Jを創出することを目的のーっとしていたことが礼拝堂配置にも影響を及ぼしている。1560年代のガレアッツォ・アレッシによる再編計画,1580年代にそれを見直したマルティーノ・パッシの配置案,更にはパスカペーと彼の意を汲んだ設計者らの案を検討すると,礼拝堂配置の再三の見直しにもかかわらず,一貫して「擬似空間」としてサクロ・モンテを建設しようとする意図があったことが読みとれる。これらの計画は,エルサレムを忠実に再現するというカイーミの企図とは異なるものの,いずれも山頂部を理想都市としてのエルサレムに見たてる,すなわち都市空間を創るという構想を具体化したものであった。キリストの受難の場として擬似的な都市空間を創るという構想は,3 ヴァラッロのサクロ・モンテの全体構想とその課題-393-

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