注最終的にはジョヴァンニ・デンリーコが1614年に立てた礼拝堂配置案を通して現在の礼拝堂配置に反映している(注14)。「キリストの生涯jのうちく降誕〉からくエルサレム入城〉までのエピソードに充てられた礼拝堂の大半は16世紀末までに竣工されていた。このためパスカペーが関与した再編では,山頂部の「新しいエルサレムjに「キリストの受難」の諸場面を造ることが主たる目的となっていた。〈最後の晩餐〉からく楳刑〉までの「キリストの受難」の諸場面は,福音書において,明確な因果関係をもって語られている。上述の礼拝堂配置の立案者はいずれも,巡礼者が物語の論理的展開に沿って礼拝堂を辿ることができるように,礼拝堂聞の道を整備する計画を立てている。というのも,1擬似空間」を創るというヴァラッロ固有の目的のために,礼拝堂の配置は統一性を欠いた,複雑なものとなり,その結果,先に述べたように,巡礼者が物語の展開順に礼拝堂を辿ることが困難になっていたからである。16世紀末以降のサクロ・モンテ再編は,それゆえ,エルサレムに見立てられた「擬似空間jの中で,Iキリストの受難Jという,極めて相互の連続性の高い一連のエピソードを表すことを主たる目的としていた。従って,当時の造営関係者は,互いに距離のある礼拝堂に表された連続するエピソードの物語上の関係をどのようにして巡礼者に認識させるかという問題を解決すべき課題として抱えていたのである。結びにかえて16世紀末のサクロ・モンテの構想、を考察することで判明したように,中心主題と内部装飾と礼拝堂配置の三者は相関的に絡み合っている。従って,個々のエピソード聞の連続性を「擬似空間」の中で維持するという特有の課題をもった再編構想の中で,ヴァラッロのサクロ・モンテの内部装飾に新たに採り入れられた場面の構成は,そうした相関関係,とりわけ礼拝堂配置との関係の中で捉えるべきものであると言えよう。Carlo Borromeo e il Sacro Monte di Arona, Novara 1985.と,AA. VV., Carlo Bascape sulle orme del Borromeo. Coscienza ed azione pastorale in un vescovo di fine cinquecento, Novara 1994.に収録されたA.Bossi, E. De Filippis, G. Gen-(1) 主な先行研究としては,AA. VV., Da Carlo Borromeo a Bascape. La Pastorale di -394-
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