鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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スケッチブック,水彩画用絵具,万年筆などを求めらる冶は,極めて文明的にして最も便利なる方法なり(注6)。これは,r美術新報Jに掲載された東京三越百貨屈の広告である。「文明的な旅行」の携帯品として,ゲートルに続きスケッチブックと水彩絵具,万年筆を取り上げでいる点は,じつに興味深い。写生旅行が画家たちの間で盛んになるのはいつ頃だろうか。明治29年になると,発足間もない黒田清輝(1866-1924),久米桂一郎(1866-1934)ら白馬会の会員が頻繁に写生旅行へ出かけ始める(この年の暮れから翌明治30年の正月にかけて,黒田清輝,久米桂一郎らの一行が房州大原へ旅行した際,先に同地へ来ていた浅井忠,高島信が黒田らを訪ね,元日に,共に写生した)0 r美術新報Jには,明治35年の創刊号から,1消息」欄に個人や各美術団体の(写生)旅行の記事が載っている。それが明治36年の夏頃から軒並み増えてくるのだが,この頃には,画家に限らず学生や写真に従事する者たちも広範囲で写生や撮影会を行なっていたらしい。その手がかりとなる記事を『美術新報Jから引用してみる。0要塞地域写景に就いて近年美術及写真の発達と共に男女学生其他絵画若しくは写真研究の者にして要塞区域内の規定を心得ざるより,単に其の風景を為さんが為,其地域を妄りに写生撮影するものあり,其筋の手数を煩はすのみならず,本人も大に迷惑すること多し。然れども右地域内に入るには勿論成規あること、て之に従ふべきのみならず,其成規の近ごろ全く変更されるを知らず,往々旧式の書式を差出し,少からず手数を煩はす者あり,是等の為比程東京湾要塞司令部より新たに出表したる書式心得なりといふに聞くに,心得としては,年令満十六歳以上,普通地図面には要塞区域を現はしたるもの少ければ最寄の警官に就いてまづ其区域の制限等を質すべく,書式は左の如しと。撮景願ー,目的(記念,営業,研究等)一,区域,何郡何町(村)字何より同何町(村)何々に到る或は何々に等明記すべしー,期限明治何年何月より何月何日まで右御許可相成度要塞地帯法施行規則第四僚に依り此段奉願候也明治何年何月何日3 写生旅行の興隆について-405-

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