くことは全く興味の自由に委して置くかといふことが問題であらう。何れも之れが旅立ちの興味である。そして自分は時日の多くを得られるときは従来前者を採って居る。時日の無い時は寧ろ後者を採て,思ふま、に此の短い夏の,いらいらする,生理的にも,精神的にも,強い刺激を持つ自然の気に打たれたく,先から先へと進んで行て,興趣に委して,スケッチ一枚も多くを収むることを楽しみにして居る。(中略)夏の写生旅行といふことも,人々によっていろいろ理由を異にしてゐゃう,単に休暇を利用して行く人もあらうし,文部省の出品に何か是非作りたいから七面苦労しても一枚仕上げる目的で出かける人も多かろう。かういふ人なら何も夏の写生旅行といふ特殊な感興の問題中には入らぬ訳である。自分は興味が無ければ出掛けない(注10)。画家の写生旅行地は,奈良,京都,日光,箱根といった古くからの名所,信州や伊豆などの温泉地帯,上毛三山(妙義山,赤城山,榛名山)に代表される山岳地帯,大島をはじめとする伊豆諸島など,北は北海道,南は琉球まで各方面に及んでいる。中には,画家の紹介によって世に知られるようになった土地も少なくない。旅の所産である作品はもちろん,彼らが雑誌等に寄せた紀行文や写生地案内が,土地の知名度を高める大きな役割を果たしたと言えるだろう。とりわけ,水彩画家の大下藤次郎,三宅克己,丸山晩震,吉田博らが日本アルプスの大山系を訪れ,風景画の新しい題材として取り上げたことは,よく知られるところである。おそらくその最初期と思われるのが,明治29年に丸山晩震と吉田博が行なった飛騨への写生旅行である。のちに丸山晩霞は,この「写生旅行の興味を読者に領ち,併せて信飛山中の風景を紹介する」として,明治39年の『みづゑ』紙上に紀行文を寄せた。日本アルプスの登山熱の導火線となった,小島烏水のベストセラー『日本アルプス』が出される4年前のことである。ここで,晩震が言うところの「探険的写生旅行」紀の一部を引用しよう。風物は千変万化奇絶壮絶,花両岩の崎、壁は数箇に別れて崎、立し,(中略)而して人聞が賞めた、いる名勝等いふものは,全く凡景俗景である,(中略)この当時に於ては,画題を選むに人間の政渉した所を選まず,探険的未聞の境を探り,人間の未だ肱渉せざる深山幽谷,又は四辺の寂塞を破る大爆布,又は草樹欝蒼として盛観を極むる無人の森林,とかいふ境地にあらざれば,真の美趣は無きものと信じ…(後略)(注11)4 写生旅行地について-407-
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