鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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⑩ 尾形光琳の水墨人物画の画風成立について一一維摩図を中心に一一研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程江村知子はじめに江戸時代中期,元禄文化を代表する画家として知られる尾形光琳(1658-1716)は,華麗で、装飾的な草花図などで高く評価されているが,一方小品ながら水墨画の優品も少なくなく,光琳の画業を考察する上でブk墨人物画の作品は看過で、きない。光琳は維摩・達磨・布袋・大黒天などの仏教などの信仰に基づく画題や,神仙図や四愛図などの中国故事に基づく画題を水墨で描いている。これまでの研究で指摘されてきたように,光琳の水墨人物画は,先行する俵屋宗達,松花堂昭乗あるいはまた雪舟や狩野派などの影響を少なからず受け,それを継承または変容させて独自の表現に至っている。光琳の水墨人物画を概観すると,簡略にして鋭い筆致で対象を描き出し,その画風は親しみやすく観るものに微笑みを誘う。確かに先行する画家の影響は光琳の画中に看取できる部分もあるのだが,その独特といえる光琳の水墨人物画の画風はどのようにして成立したのであろうか。光琳の数ある水墨人物画の中でもその先行する絵画の学習や墨技の熟達の完成形を維摩図に見ることができると筆者は考えている。本研究では光琳の水墨人物画の画風成立要因を考察するにあたり,具体的に維摩図を中心に検討したい。まずは光琳筆「維摩図J(個人蔵)(図1)の図様を概観しておきたい。縦37.7cm,落款と「方祝」朱文方印が捺されており,書体と印章の使用時期から,光琳の晩年の作品であると指摘されている(注1)。像主の上半身を描いたものというよりは,顎髭のやや下で画面を大胆に裁断したょっな構図で,半身像というよりも胸像に近いといえる。頭巾を被り,払子を握りしめ,髭を蓄え,画面向かつて右斜め下を見据える維摩の姿を無駄のない筆で描くが,その描写には数種類の筆使いが巧みに使い分けられている。頭巾は筆を二回ヲ|いて没骨で描き出しており,その墨線が重なって濃くなった部分,また意図的に濃墨を加えた部分が,たらし込みの効果をもたらし,布の柔らかい質感が表現されている。濃墨で表された肩と襟の輪郭線が画面全体の強いアクセ1 .光琳筆「維摩図」の図様と研究史横54.0cmの横長の画面に維摩の姿が半身で描かれている。画面右下に「法橋光琳」の-413

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