鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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3.維摩図と達磨図以上,維摩図の展開をみてきたが,狩野探幽は雪舟に倣いつつ独自の図様を成立させたと考えられる。次に狩野派による維摩の作例をみてゆきたい。光琳の画風形成要素として狩野派絵画の学習がそのー要素としてしばしば指摘されており(注16),狩野派による維摩の作画状況を把握しておく必要もあろう。大倉集古館本「探幽縮図」には扉風とともに全身像で描かれる維摩図が収められており(注17),この他にも「八十三歳雪舟筆jと書き入れのある,維摩図の模写が確認できる。また京都国立博物館本「探幽縮図」には合計四図の半身像の維摩図が収録されている(注18)。これらの原図が真筆であったかどうかは定かではないが,探幽がそれら先行作例を古画学習の対象にしていたことを知るには足りる。探幽の筆による維摩図は現存作例もいくつか確認できる(注19)。その一例として仙岳院(宮城)所蔵本〔図3Jをあげるが,このように探幽の維摩は概して,黒色の薄地の頭巾から白髪の雷が透けて見え,長い髭と眉毛を蓄え,払子を手に執り,脇息にもたれるという姿で描かれる。病苦で痩せ衰えた姿というよりも,穏やかで,かつ威厳のある理想的な文人の姿のようにみえる。さらに探幽の維摩図には様々なヴァリエーションがあったことが,狩野派模本によって推定できる。東京国立博物館所蔵・狩野派模本には,探幽を原画とする維摩図が14点含まれている(注20)。そこには現存作例に類似する,半身像の穏やかな老人の姿で描かれるものの他に,椅子に坐した全身像の維摩〔図4Jや,屋外の自然景の中で台の上に脇息にもたれる維摩とそれに相対する立像の文殊を描くもの〔図5Jなど,あまり見慣れない図様のものもある。寺院,武家など多様な需要に対応したものと推測できる。また『常信縮図』には概観しただけでも83点の維摩図が確認できる(注21)0r常信縮図Jはその数200巻を超える膨大なもので,そのうち布袋や寿老や達磨など道釈人物画ばかりを集めた巻に維摩も順不同に収録されている。そのなかには原図筆者を雪舟と明記したものが9点,図様から中国画の模写と考えられるものが6点存在する。その他の多くは探幽風のものが多く,また左右幅の画題を書き入れて三幅対の中幅であることがわかるものが39点,全体の46%にのぼる。常信による古画や探幽画の椴密な学習が伺え,狩野派によって維摩図が盛んに,かつ多様に制作されていた現状が明らかになった。さて,以上のように先行作例を概観した上で,光琳の維摩図に再び立ち返りたい。416

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