(10) 前掲(7)大西贋「維摩居士図J(大和文華館)解説『禅林画讃』毎日新聞社,1987年(11) 前掲(7)大西贋「肖像画における『擬』の問題Jr国際交流美術史研究会第六回シンポジアム肖像』国際交流美術史研究会,1990年割して,上段に『竺仙和尚天柱集』に載る「維摩大士賛」が33行にわたって記され,下段の左半分に長福寺本を反転させたような姿で維摩が描かれている。維摩は向かつて左向きで,右肘を脇息についてもたれ,右手に払子を執り,左膝をたてて坐す姿で描かれる。顔貌がやや異なることと,左右が反転していることを除けば,長福寺本と姿勢・着装・脇息の形などの表現が一致する。ただし,この勝川による模本の下段右半分は空白のまま残され,そこには長福寺本にみられる中巌円月の賛文は記されていない。竺仙あるいはその系統の維摩図としていくつか存在していたもののうちのーっとも考えられる。しかしながらこの模本は,長福寺本の中巌円月のI(前略)手持竺仙所園像上有賛調極高妙(後略)Jという賛の部分,すなわち「上部に賛のある竺仙が描いた維摩像」という原型を推測するに足りる。勝川が本図を模写したのは嘉永7年(1851)であり,原画が竺仙の筆による可能性は低いが,少なくとも勝川が原画を竺仙筆と認識して古画学習の対象にしていたことを指摘しておきたい。(ロ:)r維摩経』全十四品のうち第十,香積仏品に由来する。同中村渓男「維摩図J(雪舟筆)解説『日本美術絵画全集第四巻雪舟J集英社,同中村渓男「維摩図J(等春筆)解説『水墨美術大系第七巻雪舟・雪村』講談社,1973年。持物がなくとも維摩と判明するのは上部の賛にそれを明記しているためである。また本図では黒色の薄地の頭巾を被っており,白髪の雷が透けて見えている。のちに狩野派によって盛んに制作される維摩図でも一様に黒い薄地の頭巾から白髪が透ける描写がされているのは,等春の作例のように雪舟周辺にその源泉が求められるようである。同作品の現存状況は不明だが,前掲同『雪舟董業東成jI諸家〈古美術入札売立目録〉にみる雪舟画J(P.314)に維摩図が六点(全身像一点,半身像五点)掲載されている。即座に雪舟の作とはいえないが維摩図の制作例として情報を提供してくれている。1976年松下隆章「雪舟論Jr雪舟董業東成』講談社,1984, P.199 421
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