鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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同安田篤生「尾形光琳と狩野派一狩野派学習と水墨表現に現れたその影響J r京都大学文学部美学美術史学研究室研究紀要』第11号,1990年(1カ『大倉集古館蔵探幽縮図・釈文』大倉文化財団1981年。「道釈人物花鳥図画帖j中と書き入れがある。この図は前掲同の「諸家く古美術入札売立目録〉にみる雪舟画」掲載の「行年八十二歳雪舟筆」と落款のある図様と極めて近似する。同『探幽縮図』上下京都国立博物館,1981年。上巻No.29I神仏図巻J(No.31)原図筆者を雪村とするもの,下巻No.34I人形仏絵蚕図巻J(No.67)原図筆者を陸仲澗とするもの,No.39 I和漢古画冊J(No.14)寒山拾得を左右幅とした三幅対形式のもの,No.44 I仏像祖師画冊J(No.71)原図筆者不明のもの,の合計4点。側カタログなどで確認できる探幽筆維摩図は以下の通り。『黄葉の美術江戸時代の文化を変えたもの-.1展カタログ京都国立博物館,1993年。No.132維摩・紅白梅図(高福寺蔵)三幅。「探幽斎筆jの款記から万『比叡山と天台の美術』展カタログ東京国立博物館,1986年。No.126維摩像(仙岳院蔵・宮城)一幅。探幽六十一歳の作。『大徳寺の名宝曝涼品図録』大徳寺,1997年。No.3維摩像一幅。探幽六十六歳の作。側東京国立博物館所蔵・狩野派模本には原画筆者を探幽とするものが14点あるほか,尚信の原画によるものが2点,安信・常信の原画によるものが各l点ず、つ存在する。倒東京芸術大学所蔵本および東京国立博物館所蔵本の写真を東京文化財研究所にて閲覧した結果による。同上嶋源丞宛の光琳書状(r大和文華J第29号大和文華館,1959年初出。山根有三「光琳の自筆書状と解説Jr琳派絵画全集光琳派-.1日本経済新聞社,1979年。および『山根有三著作集三光琳研究ー』中央公論美術出版,1995年)にはI(前略)雪舟之絵毎日五七幅つ〉見申候随分写申候とかくねぶり付たる様に書申候ハ絵ニてなく候(後略)Jとある。同雪舟系の寿老の現存状況は明らかではないが,前掲同『雪舟重業緊成.1I諸家〈古美術入札売立目録〉にみる雪舟画J(P.328,329)に本図が類似する長頭短身の寿に2点の維摩が収録されている。その一つ第17図には「雪舟写〈等観〉と印有J治3年(1660)以前の作とされる。422

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