老図が10点掲載されている。図様が完全に一致するものはないが,このような作品群のうちの一つを光琳が模写したに違いない。もちろんこの原図が雪舟の真筆であったかどうかは別の問題で,ここでは光琳が雪舟筆の寿老と思って模写していた,古画学習をしていた,ということを確認したい。凶前掲岡安田氏論文。また筆法などの影響だけに留まらず直裁的な作画も行っていた証左として光琳筆「西王母図J(キンベル美術館蔵・フオートワース/アメリカ)(r琳派第四巻人物』紫紅社,1991年)を挙げうる。顔貌は穏やかなやまと絵人物風であるが,衣紋線に見られる肥痩の強い墨線や,頭部の飾り・着装などの細部の描写は,探幽や常信の西王母図を訪併とさせる。光琳の狩野派絵画のあとが顕著に見られる事例と考える。岡田中ー松・米沢嘉圃『原色日本の美術第十一巻水墨画J小学館,1970年(図版No.65,P.88) 同前掲(5)小林忠「尾形光琳艶やかな墨Jr墨絵の譜』ぺりかん杜,1991年,P.257 附田中大三郎「白隠さんの達磨図Jr目の眼j294 里丈出版,2001年。第4図参照。423
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