3.聖地図像の受容と展開一一遍聖絵・安徳天皇縁起絵・洛中洛外図扉風を例に一取り込まれていることである(注5)。視覚的なイメージを変えてまでも描き出そうとしたのは,水域表現が特に重要な意味を担う聖地図像であったからであろう。水域表現が重要視されたのは,川という存在自体が聖なるイメージを伴うものであったからである。川は,聖と俗の空間を分かつものであり,此岸と彼岸を意識させるものであった。さらに対岸の聖地までも思わせるモチーフであったと考えられる。これは二河白道のイメージ〔図13)と非常によく似通うものといえよう。二河白道図に描かれた川は西方極楽浄土と此岸とを隔てるものでありながら,その先の浄土の象徴でもあった。つまり)11は,聖俗の境界を示す一方で,向こう岸の聖なる地(浄土)をも象徴する聖地図像であったといえる。とするならば,川に添えられた「橋jのモチーフもまた対岸の浄土を連想させる聖地図像であったと理解できるであろう。水域表現が重要な聖地図像であったことは,後に制作された多数の参詣蔓茶羅に水域表現が描き継がれている様子からも理解される〔図14・15)。参詣蔓茶羅の画面下辺に沿って描かれた川は,形式化した表現となってはいるものの,やはり聖地図像として機能しているといえる。つまり水域表現は,近世に至るまで聖地図像としての意味や機能までも失われずに継承されていったことがわかる。以上,聖地図像の概要を簡単に述べてきた。聖地画像には各々に意味や機能が託されていることが理解されよう。ここに挙げたモチーフは数ある聖地図像の一部に過ぎない。言及できなかった聖地図像に関しては,稿を改めて論じたい。聖地図像は,絵画作品の中にどのように取り込まれ,新たな作品として形成されたのであろうか。本章では,聖地図像の受容と展開の様相を探ってみたい。特にここでは,従来聖地画像として注目されてこなかった作品で,実際に調査を行えたものの中から,形態・主題・制作年代が異なる3作品を取り上げ,聖地図像の記号論的解釈から導かれる新しい作品解釈の可能性を提示し,作品の新たな位置付けを試みたい。① 一遍聖絵一遍聖絵(以下,聖絵とする)は時宗の開祖一遍の生涯を克明に描いた絵巻として広く知られている。従来の研究では祖師絵伝としての性格や名所絵的と説明される特異な景観表現に関心が集中していたように思われる。ところが,景観を構成している様々なモチーフに注目したところ,聖絵には,先に見た聖地を表す様々な聖地図像が-429-
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