画面の各所に盛り込まれていることがわかった。例えば,聖性を示す瑞雲は,白河関(巻5-3)(図16)や大三島社(巻10-3)の場面に描き込まれている。瑞雲が土地や山の霊性を象徴する記号であったことは先に指摘したが,これらの瑞雲もまた,描かれた景観が聖地であることを視覚的に示したものであると考えられる。山水表現に注目すると,宮蔓茶羅に散見された神を連想させる山の表現が随所に見られる(巻5-2,5-3, 7-4, 8-3 (図17),10-2, 10-3,巻6断巻)。また,先に取り上げた,仏の住む世界を連想させる吃立した岩山の表現も多数見受けられる(巻1-2,2-1, 2-4, 3-1, 5-2, 5-3, 8-5, 10-2 (図18),10-3,巻6断巻)。江ノ島(巻6断巻)や大三島社(巻10-3(図19))に至つては,二種類の山が同時に描かれている。これらの山はみな社殿の背後に描かれており,社寺の景観を荘厳するものであると理解できょう。いうまでもないが,実際の景観にこのような山々が存在していたのではなく,聖地にふさわしいイメージを作り上げるために描きこまれた図像であるといえる。さらに聖絵には,水に固まれた聖なる土地のイメージも見ることができる。巻3の熊野本宮の景観には,本宮の境内地を丸く取り囲むように熊野川が描かれており,川に縁取られた本宮の土地は島状をなしている〔図20)。つまり,熊野本宮の姿は,聖なる土地にふさわしい造形として形作られているといえよう。このようにモチーフにおいて様々な聖地図像が確認できたように,構図においても指摘することができる。既に指摘されているように,石清水八幡宮と熊野の景観は既成の社寺蔓茶羅の構図を借りたものといえるが(注6),これらは宮蔓茶羅特有の礼拝を誘う神域イメージを画面に引用するためであったと思われる。興味深いのは,単に構図やイメージを真似たのではなく,実際に宮呈茶羅の型紙を使用し,忠実にその構図を再現しようとしていることである(注7)。以上のように様々な聖地図像の借用が絵巻の随所に見られる聖絵は,聖地を集めた絵巻であると新たに位置付けることができる。もちろん,もとより多くの社寺の景観が描き出されており,聖地を集めた絵巻という解釈には新しさがみられないという指摘もあろう。だが重要なのは,聖地図像を駆使し,最も聖地にふさわしい情景に形作られた社寺景観によって絵巻が埋め尽くされていることである。その意味において,聖地を集めた絵巻だといえるのである。聖地が絵巻に集められた理由の詳細に関しては稿を改めるが,中世に多数制作された社寺蔓茶羅が礼拝画としての機能をもち,札430-
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