鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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J士小口注(1) 玉晶敏子「日月のかざり物語室町時代日月扉風の基盤をもとめて-J r日本の美ように白く彩られた川岸は現世浄土を荘厳しているのである。さらに重要なのは,鴨川によって分断された聖俗両世界が,四条橋によって文字通り橋渡しされていることである。先述したように,橋もまた聖地をイメージさせるモチーフであった。注目すべきは,四条橋に神輿渡御の情景〔図27J,つまり神が聖なる土地から俗なる土地へと移動する様子が描出されたことである。神が境界を渡るという光景は,より一層この世の浄土を強調するものであったといえよう。そしてそれは神の行き先である洛中をも聖地に昇華させるものであった。以上の分析により,町田本は京の都という聖なる土地を描出した絵画として新たに位置付けることができる。本稿では右隻のみの分析ではあったが,左隻に関しても同様の解釈が可能である。華やかな祇園会の光景に荘厳された都の情景は,まさしく聖地であり,上部を彩る四季の景観は,聖地を寿ぎその永遠性を讃えているのである。以上,煩雑ではあるものの,聖地図像をキーワードに図像学的な考察を進めてきた。本研究は実験的な試みではあったが,聖地図像の図像学的解釈は,他にも様々な絵画の新しい解釈を可能にすると考える。今回取り上げられなかった聖地図像に関しても検討を進め,新たな作品解釈の試みを行っていきたい。(2) 市古貞次『中世小説の研究』東京大学出版会,1955年(3) 武田恒夫「初期洛中洛外図扉風の展開ーとくに狩野派をめぐって-J r日本扉風絵集成11洛中洛外J講談社,1978年(4) I無縁」という概念に関しては,網野善彦氏の研究に詳しい。網野善彦H増補]無縁・公界・楽』平凡社,1987年(5)例えば琴弾宮の杜地は,既に宮島氏が指摘しているように,島ではなく海に面した丘陵である(宮島新一「神が宿る土地の姿Jr日本美術全集9縁起絵と似絵』講談社1993年)0 111を強調して描くことによって,聖なる「島jのイメージを形イ乍ったものと解される。学j.14,ぺりかん社,1989年-434-

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