鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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を営んでおられるが,武生周辺に伝来したものというお話であった。1 1夕顔棚納涼図」にまつわる橘曙覧の記述の著名な「夕顔棚納涼図」にまつわる記述がある。長くなってしまうが引用したい。「楽みはゆふがほだなの下すずみ,男はててら女はふたのして」といふ歌を,或人いたうかんじて,こは誰も知たるざれ歌なるが,調がらの優ならぬは,うちゃりおきて,心ばへのをかしさ,真心うちあかしたる楽みこの上やはあるべき。此さまを絵にかかせてつね見まほしく,年ごろおもへるものから,然るべき絵師のあらざれば,思ふのみにてうちすぐしけるを,此ごろ人の物語に開つることこそ有れ。此図名だたる久隅守景のものせしが,さる家に持伝へたるを見けりと謂ふ。さてこそ我が思ふにかなへる物には有けれ。いかで其絵己が物にせまほしく,思ひあこがるれど,此もちぬしはた,えはなちがたくすなるよしなり。いかがはせむとわびて語りたる事ありき。其ほどに余思へらく,是歌の心ばへ足ことを知えたる境に入し楽みを,をかしくいひたるものなり。こればかりのありさまは,誰も得易き楽みなるべけれど,人みなはるかなるものにおもひうとんずるもことわり,身の分を能まもり,自ら足れりとする心,なまじひなるらむ限りは,この娯み知りえがたきのみならず,かへりて憂き事にぞ\思ひなさるめる。かかればこそ人はその憂にたえずともろこしのよき人もいはれては有けめ。此ある人はた味知り顔に畏くいひつつも,凡ならぬ画工の筆のあとに心うばはれ,無き手を出して,人の物ほしがるを見れば,この楽みの臭を,かがまほしうするのみこそあれ。まことには,タがほも下部して棚かかせ,己は文紗のててらを着,妻には羅のふたのまとはせて,下納涼をもものすらむ人にや有らむと,腹をよりて笑はれけるかし。(1囲炉裡謂」タがほ棚)(注6) [大意]或る人がこの歌の,足ることを知る喜ぴの境地を画家に描かせて置いておきたいと思っていたが適当な画家がおらず,出来ずにいた。ある時,人がある家に伝わる守景の絵を見たというのを聞き,まさに自分の思っていた絵であるので手に入れたいと思って依頼したが,持ち主は譲ってくれず,どうしましょうかと詫びてきた事がある。E 守景およびその作品関連資料大安禅寺の扉風の項でも紹介した福井の歌人橘曙覧(l802~1868)の随筆に,守景-447-

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