制作された山荘園〔図2J (正木美術館:1415年以前)に近似する構成をとるため,特定の中国絵画を原本として参照した可能性が指摘されている(注4)。その原本を特定することは難しいが,渓陰小築図には小築の手前の士坂に斧穿破のような表現があり,山荘図には車輪松が描かれるため,両者に共通する原本は南宋院体画様式の山水画であったと思われる(注5)。室町時代に請来された中国絵画で,本図と同様に水辺の小築・樹叢・渓流・遠山等のモチーフを組み合わせる山水図には,(伝)小栗宗湛筆山水図巻(個人蔵)(図3Jに模写される夏珪の山水図巻(注6)の「春渓小築j部分があり,本図の原本を考える際の候補のーっとなるであろう。ところで,本図は子瑛口純の書斎「渓陰小築jに因んだ贈り物である。その書斎図を描くにあたり,画家が「春渓小築」という四字句のある中国絵画の一場面を参照すると思われることは興味深い。このような四字句を伴う山水図(注7)としては満湘八景図が有名であるが,室町時代には,この他にも西湖十景図や夏珪の山水十三景図巻等の存在が知られ,そのうちの何点かは実際に山水画制作の原本とされていた(注8)。このような中国絵画を原本とする絵を,太白真玄は「心之画也」としているのであるが,他の賛文に注目すれば,禅僧にも違う見方があったと思われる。原本の夏珪画巻の一場面には橋があるが,本図の賛文に謙巌原沖は,春の大水で門前の橋が流されたと記し,描かれない橋に注目している。その記述から想像を逗しくするなら,本図の画家が参照する原本を,絵を見る賛者が知っていた可能性があるだろう。つまり,そのような眼の記憶をもっ賛者が,原本の四字句からイメージを展開させることを考慮に入れて,画家は絵作りをしたと考えることもできる(注9)。さて,とりあえず原本は南宋院体山水画であろうという見通しをつけ,本図と原本を比較するとき,渓陰小築図には原本に付け加えられたと思われる表現がある。その一つは,画面中程の雲煙に埋もれる樹木の表現である。これは,南宋院体画の伝統的表現ではなく,北宋の李成と郭照の山水図に由来する表現であり,後世の李郭派山水図の基本アイテムとも言える表現である。その例は多数あるが,本図との関係で注目されるのは,元代に活躍した文人・楊維禎(1296-1370年)の周辺で描かれた絵画である。楊維禎の題する春山図〔図4J (台北故宮博物院)には,渓陰小築図と同様の雲煙に埋もれる樹木があり,本図の近景の樹木や建物の表現は,やはり楊維禎が序を記す挑廷美筆有余間図巻〔図5J (クリーヴランド美術館:1360年)に似ている。先行研究に36
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