鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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サに参加したのである(注8)。これに対してドンナレジーナ聖堂ではまさに革新的な工夫がなされたのであるが,この新しいタイプの修道女席がイタリアで一般化することはなかった。一方ドイツの女子シトー会修道院聖堂では,修道女席を身廊の上に設けることでほぼ一貫している。これは付加的な要素を避け,規則性ある統一的な空間を志向するゴシック建築の流れに適ったことであった(注9)。そして修道女たちは聖堂の中で,女子修道院の主役に相応しい位置を占めることができた。これによって彼女たちにも聖堂の建築的効果を享受する可能性が聞かれたわけであるが,マリアブルクハウゼン(11aaaburghausen)修道院(Reg.呂田.Unterfranken, Hasfurt) [図9,10Jやピルケンフェルト(Birkenfeld)修道院(Reg.呂田.11ittelfranken, Neustadt a. d. Aisch) [図11,12Jでは,壁体で目隠しされ聖堂から仕切られた空間を形成していたことがわかる(注10)。これ以外の聖堂でも,後代に修道女席が重なる身廊部は聖堂本体とは完全に切り離されて利用されている例が多く見られ(ヒンメルクロン(Himmelkron)修道院(Reg.呂田.Oberfranken, Lkr. Kulmbach) [図15-17J,ハイリゲンタール(Heiligenthal)修道院(Reg.呂田.Unterfranken, Lkr. Schweinfurt)など),元々同ーの聖堂内にありながら蔵然と分かたれるべき二つの空間を構成していたと推測される(注11)。一方ドンナレジーナ聖堂の場合,上に挙げたドイツの修道院に見られる仕切り壁の痕跡は発見されていない。また修道女席の壁面全体を覆うフレスコ画がその陰で,薄暗がりの中に置かれていたとも考えにくい。ドイツのシトー会女子修道院の中では最大の規模を誇り,二階修道女席に創建時から程なく設置された据付席の残るゼーリゲンポルテン(Seligenporten)修道院(Reg.-Bez. Oberpfalz, Lkr. Neumarkt i. d. Opf.) 〔図30,31, 34Jは,元々の姿をよく示しているが,欄干の上部が広く聞かれている(注12)。こういった建築において修道女たちは内陣を目の当たりにし,身廊と内陣との聞の明暗のコントラストを強く感じることができた。ドンナレジーナ聖堂は,この作例に最も近い。二階席でミサに参加する修道女たちは,聖体拝領のために地上階に下りる必要がある。ヒンメルスプフォルテン(Himmelspforten)修道院(Wurzburg)では1612年につくられた螺旋階段が現在も見られる(注目)[図37Jo1896年以前に撮影されたゼーリゲンポルテン修道院の写真では,二階から左壁面に沿って下りる階段が認められ(注目)-457-

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