〔図31),ピルケンフェルト修道院には内陣まで直接通じる通路が設けられていた〔図12)。前者では,司祭や助祭がホスチアを持って修道女の近くまで訪れたと想像されるし,後者の場合,修道女たちは俗人と接触することなく直接内陣に立ち入り,聖体を受け取ることができた。一方ドンナレジーナ聖堂にはこういった形跡はなく,修道女たちがミサの最中にどのようにして聖体拝領を行ったかは明らかでない。聖体容器を吊し上げる何らかの工夫があったかもしれない。また,アッシジのサン・ダミアーノ修道院の聖堂には,隔離された状態で修道女たちがミサに参加するためのスペースが内陣脇に設けられていたが(いわゆる「聖クララの礼拝堂J),聖堂の内陣と通ずるごく小さな「聖体拝領用窓」に設けられた壁寵に聖体容器が置かれ,修道女たちはすでに聖別されていたホスチアをそこから受け取っていた(注15)。ドンナレジーナ聖堂で同様のものが備え付けられていた可能性もある。全質変化が教義化された13世紀以来,聖変化した後に高く掲げられたホスチア,すなわち神の現存を眺めることは,最も高揚した宗教的経験であった(注16)。こうした機会が与えられていなかった場合,修道女たちが何らかの代替物を求めたことは当然考えられる。結果的にドンナレジーナ聖堂では,それが理想的に解決されている。修道女たちは欄干にもたれ掛かつてホスチアを見ることができなかったとしても,I天使の位階jにはさまれて内陣から差し込む光の内に,I霊的な視覚」は神を見ることができたのである(注17)。ドンナレジーナ聖堂では二階修道女席だけでなく,内陣もこういった機能に相応しい形態を備えており,その特徴を次節でドイツの作例と比較検討する。ii )内陣の形態上述したとおりドンナレジーナ聖堂の内陣は,1径間分の延長部を持つ「短い長後陣」と定義される。延長部は多角形部分の一辺の長さとほぼ同じ奥行きを持ち,リブ付き寄寵天井の要石の高さは両者とも等しい〔図4-6)。比較的早い時期に建造されたドイツの女子シトー会修道院聖堂は,半円か多角形のアプシスと,方形のプレスピテリウムから構成される内障をしばしば備えているが,それとは明らかに異なっている(注18)。最も類似する例は,ヒンメルクロン修道院〔図13-17)とシュリユツセラウ(Schlusselau)修道院(Reg.-Bez. Oberfranken, Lkr. Bamberg) C図18-21)に見出せる(注19)。実際そこではドンナレジーナ聖堂と同様,5辺から成る多角形部に,1径間分の延長部が付け加えられている。この形態が後に,ゾンネフェルト(Sonnefeld)-458-
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