えている。上述したルドルフ一世の娘クレメンテイアと,アルブレヒト一世の娘カタリーナで,それぞれカルロ二世とハンガリーのマリアとの聞に生まれた長子カルロ・マルテッロと,ロベルト王の継嗣カラブリア公カルロに嫁いで、いる。またケーニヒスフェルデン修道院は,ハンガリー王アンドラーシュ三世の王妃だ、ったアルブレヒト一世の娘アグネスが,夫の没後半世紀にわたって暮らした場所でもある。ヘッセン州にあるアルテンベルク(Altenberg)修道院(L油n-Dill-Lkr.Solms)は,元々女子プレモントレ会に属していたが,女子シトー会修道院聖堂と同様,二階修道女席を備えている(注27)。これはテューリンゲンの聖エリサベトの末娘で修道院長だった福者ゲルトルート(1297年没)によって,13世紀後半に建てられたものである。ドンナレジーナ聖堂の寄進者ハンガリーのマリアは聖エリサベトの曾孫であり,ゲルトルートとは縁戚関係にあった。他にも南イタリアで活躍したテイパルド・デ・アレマニア(Tibaldode Alemania)やジョヴァンニ・デ・ハイア(Giovannide Haya)など,アンジュー家のネ且国フランスから呼び寄せられた建築家と出自を異にした北方出身と思われる建築家,技師の名前が知られている(注28)。結語今後の研究課題筆者は別稿で,ドンナレジーナ聖堂の絵画を聖ボ、ナヴェントゥーラの「観想jの概念を手がかりに解釈したが,同様の試みはアナーニのサン・ビエトロ・イン・ヴィネイス修道院でもなされている(注29)。クララ会に属するこの修道院で,修道女席は聖堂の身廊脇の二階部分に置かれ,一般人の目から隠されていた。そこに描かれる絵画は,やはり修道女たちの観想のために用いられたことが指摘されている。絵画を通じて修道女たちは,天上の至福を先取りしたのである。フランシスコ会におけるボナヴェントゥーラの位置を考えれば,こういった解釈がなされるのは当然すぎるかもしれない。ドンナレジーナ聖堂の場合,修道女の宗教経験が絵画だけでなく建築の効果とも結び付いていたことが特記される。建築と絵画との係わりは,新しい研究の可能性を指し示す。建築の効果に留まらず,ある場所に与えられた意味や役割と,そこに描かれる絵画との関係を考察することも検討されるべきであろう。例えば,修道院の中で聖堂に次いで重要な場所である参事会室の絵画を,その建築の文脈の中で解釈することが考えられる。15世紀半ばの後期ゴシックまで下るものであるが,ゾンネフェル461
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