鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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注26J。アンジュ一家との関連で言えば,筆者はシエナのサン・フランチェスコ修道院の1993.を挙げるに留める。詳細な文献表が付されている。また(2)を参照。ト修道院の参事会室には〈ブドウ搾り器のキリスト〉など興味深い図像が見られる〔図参事会室に描かれていたアンブロージヨ・ロレンツエツテイのフレスコ画({トウールーズの聖ルイとボニファテイウス八世){フランシスコ会士の殉教))についての論考を準備中である。ドンナレジーナ聖堂に即して言えば,ナポリ大聖堂との関係が考察されるべきであろう。王家の墓廟として大聖堂と対を成す役割を果たしていたことが指摘されているが(注30),建築形態の上でも内陣だけを取ればドンナレジーナ聖堂は大聖堂のトッコ礼拝堂に類似している。やや広くナポリ全体や,ドミニコ会建築との関連の中で論じられる余地が残されていると考えられる。また身廊右壁面に描かれる「アレクサンドリアの聖カタリナ伝jと「ローマの聖アグネス伝j連作は,豊富な図像を提供しており,図像形成期の作例として大変貴重であるが,これまで十分な考察の対象とされていない。聖堂全体の装飾プログラム中で,どのように位置付けられるかも検討されるべきであろう。最後にドイツの女子シトー会建築に関しては,第二次大戦以前に出版された各地の文化財を網羅的に取り扱う大部のシリーズ本以外に,個別研究の進められていないものがある(注31)。ゼーリゲンポルテン修道院など,その規模からしても調査に値すると考えられる。「宗教的女性運動(religiりseFrauenbewegung) J (注32)が語られるアルプス以北の地域で,独特な建築形態が生み出されたこと,特に聖堂内で修道女に正当な位置を与える二階修道女席が考案されたことは示唆的である。今後,修道女の信仰生活を視野に入れた上で,実地の調査や文書資料を通じて絵画も含めた当時の女子修道院建築の様子を再構成してゆきたい(注33)。(1) 本稿はドイツの女子修道院の考察を主な目的とするため,ドンナレジーナ聖堂に関する文献は,R. A. Genovese, La chiesa trecentescαdi Donna Regina, Napoli, (2) Iナポリ・アンジュ一家の二人の女性寄進者ハンガリーのマリアとマヨルカのサンチャ-J r美術史学J(東北大学美学美術史研究室刊),第21号,2000年,伺■(叫頁;Iナポリ,サンタ・マリア・ドンナレジーナ聖堂の建築と絵画Jr美術史』462-

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