鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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。。円でもあるく渓陰小築図の画家〉の主体的な構想、が投影されているとみてよいだろう。まず,本図の遠山の表現意図を考えてみよう。本図に賛丈を記す禅僧のなかで,最も注目すべきは,遠山を「山容削玉」とする玉腕党芳(1348-1420年?)である。その文句は,子漢口純の道号の由来である「揮金瑛玉」と関連するとみてよいであろう。道号を授けた惟肖得巌(1360-1437年)は「子瑛字銘J(注13)において,子瑛口純を,隠された美質の喰えである未だ磨かない玉「瑛玉jとみなしている。一方,惟肖得巌と親交があり,r玉」字を道号にもつ玉腕党芳は,渓陰小築図の遠山を削り出した玉とみなしており,子瑛口純の人柄や学聞が磨き上げられ大成した様子を,遠山の表現になぞらえ賛文に読み込んでいると理解できる(注14)。これが,本図の表現の改変に対するく渓陰小築図の画家〉の意図と同一であるかはわからない。しかし,近い環境にある禅僧の一理解として,この表現を考える際に参考となるであろう。次に,本図の雲煙に埋もれる樹木の表現意図を考えてみよう。既にふれた惟肖得巌「子嘆字銘jには「山川扶輿,天地清淑,苧秀於慈,~.軍瑛翰銃,晴虹白骨,暖畑可掬」(注15)とあり,r揮瑛」が育まれる祝福された山水には雲煙が立ちこめるとしている。これによれば,r瑛」たる子瑛口純の書斎図に雲煙を描く行為は,書斎とこれを取り囲む山水を祝福することを意味し,この祝福された山水に住まう子瑛口純を「嘆」として称揚することを意味する。親友であるく渓陰小築図の画家〉が「子嘆字銘」による子瑛口純の道号の由来を承知していたとすれば,南宋院体画様式の原本に雲煙の表現を付け加える意図を,以上のように解釈することができる(注16)。さて,ここでさらに注意したいのは,雲煙に埋もれる樹木が,李郭派山水図の表現をとることである。原本の表現との整合性を考えるなら,画家は,無涯亮促等題賛の山水図(正木美術館)のように,晩需行旅図冊(ボストン美術館)のような南宋院体画様式の山水画にならう雲煙表現(注17)を選択することもできたはずである。それゆえ,その選択には何か事情があったと想定される。いま,その表現選択の経緯を明らかにすることはできない。しかし,いくつか予想される状況のなかで,最も有力なのは,この雲煙表現を郭照との関係で理解することであろう。周知のように,郭照は,五山文学にたびたび登場し,当時,最もよく知られた中国人山水画家の一人であった(注18)。また,r撮壌集』ゃ『君台観左右帳記』の記載かJ

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