鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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寄りかかって松に懸かる藤を眺める女童の衣の裾に筋状に剥落した部分が見られる。その筋は単純な直線に近く,模様や襲など衣の装飾や部分としてみることはできない。その筋は浅いが紙面に窪みを作っており,女童の背後で筆と琴を演奏する女主人たちがいる部屋の下長押の下線とつながっている。つまり下長押に描かれたこつの釘隠しの右方下側で,貴子と接する部分の線の延長線上にその筋があるのである。下長押の下線に窪みがあるかどうか判然としないが,下長押の他の線に比べてその部分はやや太いところから,窪みのある描線の上に墨によってヲlかれた棋がかぶさっているため肉眼では窪みの痕跡が目立たないのかもしれない。女童の衣の裾に見られるわずかに窪んだ筋は,下絵の段階で敷居の位置を決めるときにヲlかれた凹線で,下長押として利用されなかった部分の回線,すなわちここでは女童の衣に伸びていた回線は彩色されて,完成時には見えなかったが,伝来の過程で、衣を覆っていた顔料が回線部分だけ剥落したものと考えられる。これ以外の場面で凹線か縦折れの筋なのか見極めがたいものがあるが,回線の可能性を含んだものとして次に挙げておきたい。絵第一段(出家後のねざめの上を夫の関白が訪れる場面)では,吹抜きに描かれた二部屋のうち,烏帽子の男(ねざめの上の夫の関白か)が入ろうとしている部屋のほぼ中央に位置する柱と,その右側に接する御簾とその下方の凡帳の一部にかけて窪みのような縦の筋が認められる。絵第三段(まさこ君が想いを寄せる女三の宮の様子を知るために,女三の宮の女房・中納言を訪ねる場面)では,まさこ君が里下がりした中納言と対面している部屋で,片聞きした妻戸の縦側の輪郭には強めの筋が見られる。また貴子の束柱の輪郭にも同様に筋が付いている。この場面の上方と下方には多くの縦折れが生じているが,妻戸や束柱に見られた筋は直線に近く,回線の可能性を考えるべきであろう。絵第四段(ねざめの上の従兄・天台座主が,すでに出家した冷泉院にねざめの上の文を届けた場面)では,冷泉院と天台座主が対面する部屋にはめられた蓮池図襖の木枠の一部に筋状の剥落個所がある。この画面の上部にもやはり縦折れが目立ち,明確に回線とは断定しがたいが,筋は木枠の部分以外には伸びておらず,回線の可能性も捨てきれない。「寝覚物語絵巻jでは,下絵に回線が用いられていたことを推測させる部分は,四場面ある絵のうちで絵第二段に見られた。他の場面では画面の縦折れの一部とも考えら-474-

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