ヲ|かれているのは3I観普賢経冊子jにも見られたところである。凹線のこうした慎重な線引きは,長押や柱などの凹線が他のモティーフにまで伸びることがないところにも認められる。下絵に凹線を用いた白描絵の作例も彩色絵と同様に多くないが,そのなかでも,この絵巻は凹線の痕跡をよくとどめている作品として特筆される。下絵制作に凹線を用いた絵画作品としては,法隆寺の金堂壁画,醍醐寺の五重塔初層側壁の連子窓にはめられた板絵が早くから知られ,室生寺金堂内陣後壁の伝帝釈天量茶羅,富貴寺大堂内陣小壁の知来形坐像などの仏画が報告されている。また窪みによる文字の書き込みや絵を伴う経典類については,縁起絵などの絵画資料をも含め,小林芳規氏による綿密な研究があり,公表された資料類は木や象牙など硬質の材を筆とするいわゆる角筆を用いて表わされているところから角筆文献と呼ばれている。これら先学の研究によって,墨以外の材料で下絵を描き,あるいは訓点を施すなど,あからさまに目立つことのない筆記法は,奈良時代から江戸時代まで継続されていたことがわかった。絵画作品においては,彩色絵の場合であれば,下絵を描いた後に彩色し,輪郭や目鼻など主要な部分を描き起す。したがって本画として完成された作品では,下絵は彩色に隠され,表面に出ることはない。白描絵の場合は,彩色せず墨線だけで完成させるため,彩色絵とは制作条件が異なる。白描絵では,墨線の与える清楚さや繊細さの印象が生かされるように,ごく薄い墨で描いた下絵を目安に本画の線をヲ|く場合や,下絵を略し,作画の初めから本画の線として機能するように線描きする場合がある。これらがやまと絵の下絵制作に対する一般的な理解であろう。今回の調査をとおして,平安時代,室町時代のやまと絵に回線の使用が確認もしくは推測されたことで,やまと絵の作画でも回線による下絵制作が継続的になされていたことを考える手がかりが見出せた。すなわち,凹線の使用部分を指摘しながら棲纏述べてきたわけであるが,作品に見られた回線は,白描絵,彩色絵いずれにおいてもモティーフを構成する輪郭の一部と基本的に重なっており,下絵としてヲ|かれたものと考えられる。それらは撮影時のライトの加減によって,また作品を斜めから見た場合に見出せるもので,通常の作品鑑賞では目にとまらない。その点で,回線は作画基3 まとめと今後の展望-479-
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