⑮ 紅摺絵研究研究員:山口県立萩美術館・浦上記念館学芸員吉田洋子版木による彩色が行われた初期の浮世絵一枚版画を紅摺絵といい,最も早い紅摺絵は,鳥居清倍による寛保2年(1742)の絵暦,西村重長による寛保4年(延享元年)(1744)の絵暦が確認されている。明和2年(1765)に錦絵が誕生した後の数年,商品として錦絵が市場に流通するまでの錦絵時代にも,安価な商品として制作された。紅摺絵を含む初期浮世絵については,技法の変遷によって時代区分がなされており,紅摺絵は多色摺が完成するまでの技法の発展段階であるとされ,絵師研究や作品研究が行われ始めたのは近年である。本研究では,錦絵の光彩に隠れてしまいがちな紅摺絵時代について,構図やモティーフを取り上げ,意味づけの変遷を辿ることを行った。近年よく言われる『絵を読むj(注1)という作業によって,紅摺絵時代の特徴を探ることができるのではないかと思ったからである。田辺昌子氏は,春信以前の時代にも,春信の作品世界を成立させるに至る要因があるとし,r雪中相合傘Jの図様を例に,図様の系譜を辿りながら,紅摺絵時代の石川豊信によって,歌舞伎の道行を表す芝居絵から恋人たちの図へと変容を見せている点を指摘されている(注2)。確かに豊信作品は,背景で場面設定をせず,絵のタイトルや役柄や役者名,俳譜などによる説明も一切省かれている点が,それまでの役者絵のスタイルと異なる。芝居や役者絵でよく知られた構図を描く場合でも,描かれた画面内で完結した物語を語りはじめている。この作例以外にも,紅摺絵作品には,芝居に依拠しながら具体的な芝居の表現を越え,美人画として独立した雰囲気をもっ作品がある。一方で,廉価版の商品,細判役者絵作品では,役者絵を生業とした鳥居派に近い顔つきで,型どおりの役者の表現が行われている。このような典型的な役者絵スタイルの紅摺絵作品は,錦絵時代にも継続して制作された。芝居の一場面を想像させる典型的な構図やモティーフがあり,その型を楽しむことは初期から錦絵期にかけて役者絵で行われていることが分かる。このことから,図様の意味を一般化することは,浮世絵の分野よりも,I世界と趣向J(注3)といった歌舞伎の脚色によるところが大きいと想像する(注4)。まず田辺氏の指摘をふまえながら,相合傘図を例に紅摺絵の図様によって語られた芝居の物語を確認した。〔資料1Jは,確認した相合傘の構図を描いた作品と,それと同じ演目に取材する役484
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