鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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nu ⑪ 両大戦聞のフランスにおけるフォーヴィスム研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士課程田中容子はじめにキュピスムと並んで20世紀初頭の重要な美術運動とされるフォーヴイスムであるが,rフォーヴイスムとは何かjとの問いに答えるのは難しい。フォーヴイスムの由来は1905年サロン・ドートンヌに展示されたマチスたちの作品を,批評家ルイ・ヴオークセルが「野獣ども(lesfauves) Jと形容したことにはじまるとされる。しかしながら同じヴオークセルは1939年に次のように書いている。「フォーヴ派(邑colefauve)なんてなかった。『エコール・ド・パリ.1,すなわち様々な西洋の流派の前途に影響を及ぼしたこの運動は(サロンはマチス,ドラン,ヴラマンク,デュフイ,マルケ,フリエスといった画家の取り巻きあるいは模倣者で溢れた),当初は,現状に対する暴力的で漠とした反抗であり,激しい抵抗の態度にすぎなかったJ(注1)。筆者はこれまで共通のマニフェストも,理論もなかった「フォーヴ」たちの反抗的態度が,rフォーヴイスム」という歴史的運動としてフランスにおいて認知されるに至った過程に関心を抱いてきた(注2)。本稿では1920年代後半の,フランスにおけるフォーヴィスムをめぐる言説を検討し,当時の「フォーヴイスム」が担っていた意味合いについて考察を加えてみたい。的研究で,筆者ジョルジ、ユ・デユテュイは次のように書いている。「忘却の時期,さもなくば『フォーヴJが有名にした傾向への激しい反対の時期を経て今日いくつかのアトリエで,フォーヴに対立させてみてはわれわれが面白がっていた流派のドグマとフォーヴの主義主張との間に,奇妙な歩み寄りの願望が認められるように思うJ(注3)。フォーヴイスムが長い忘却の期間を経て,人びとの新たな関心を集めはじめたのは序への回帰jとよばれる動きによって,戦前の前衛画家の多くが戦後,戦前のスタイルを棄て,より自然に即した様式で制作するようになったことに由来する。キュピス1920年代におけるフォーヴの画家たち1929年に美術雑誌『カイエ・ダール』に連載が開始された,フォーヴイスムの先駆1920年代後半のことだ、った。フォーヴイスムの忘却。それは第一次世界大戦後の「秩一一1920年代後半のフォーヴィスムをめぐる言説一一

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