鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(15)拙訳は次の通り。「吉祥の気に溢れた清浄な山水には,秀英な人物が宿り,これか日召O島尾新「日月の図像学一〈日月四季花鳥図扉風〉再論J r美術史論壇.19,韓国美術研究所,1999年画であったと思われる。なお,三益斎図を模本とする議論は,島尾新「室町水墨画の再評価「三益斎図」と「聴松軒図jについてJ r国華.11231,1998年を参同惟肖得巌「子瑛字銘Jr東海璃華集.12, r五山文学新集.12,東京大学出版会,1968年,693頁を参照。同この他にも,玉腕党芳の賛文「卜佳虚J1不是詩人定是禅jには,子瑛口純に重ね合わされた卜筆に優れた中国晋代の詩人・郭瑛景純のイメージが投影されている。ら精錬する金や磨きをかける玉のような人物が密かに育まれている。そこには,竜の分身である虹が自然と天に広がり,地には柔和な雲畑が手で、掬える位のところまで漂っている。」同画家から友人への贈り物として企画された渓陰小築図には,雲煙が付け加えられている。中国では実際に自然界にある雲を贈り物とする伝統が知られ,本図はその観点から解釈することもできる。中国における贈り物としての雲については,合山究『雲畑の国一風土から見た中国文化論』東方書庖,1993年,37~40頁を参照。(同私見とは異なり,無涯亮促等題賛山水図の雲煙表現は,李氏朝鮮時代の米法山水図にならうとする意見がある。太田孝彦「正木美術館蔵無涯亮伺ら三僧題詩の山水図についてJr美術史.1124, 1988年,145頁を参照。同島尾新「十五世紀における中国絵画趣味JrMUSEUM.I 463, 1989年,27頁を参照。同『探幽縮図J下,同朋舎出版,1980年,219頁を参照。側室町時代における禅僧の蘇東壌の詩文理解については,芳賀幸四郎『中世禅林の学問及び文学に関する研究』日本学術振興会,1956年,284~287頁を参照。また,蘇東坂「郭照画秋山平遠」の他に,これに次韻した黄山谷「次韻子謄題郭照画秋山jからも,郭照は知られていた。倒小川裕充「院中の名画一董羽・巨然・燕粛から郭照までJ r鈴木敬先生還暦記念中国絵画史論集』古川弘文館,1981年,47頁を参照。42 ω 三益斎図や待春軒図の原本は湖畔幽居図冊(大阪市立美術館)のような中国絵

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