ハhUにd⑫ ピーテル・アールツヱンの〈キリストと姦達の女〉とブクラール以降の同主題作品研究者:日本大学松戸歯学部講師堤アントウェルベンで工房を構えたビーテル・アールツェン(PieterAertsen, 1508 1575)は,1550年代半ばにアムステルダムに帰郷して後,少なくとも2点の〈キリストと姦淫の女}(図1,2 J (注1)を制作した。いずれも聖書主題は後景に退き,野菜や家禽を商う農民たちが前景に大きく配されている。彼は,<マルタとマリアの家のキリスト}(注2)で,やはり主題を後景に小さく表し,前景には台所で立ち働く女たちを大きく表してみせたが,それらとともに画家の特徴的な作品となっている。また,このように聖書主題に基づく主場面を後景に小さく,それらに関係するような市場や台所の光景を大きく前景に表す「聖俗逆転のj構図は,彼の弟子ブクラールをはじめ,一連の画家たちによって採用され,1エマオのキリスト」ゃ「神秘の漁り」などの主題も加わり,多くの作品が残されていくことになった。それらは,全体として見れば,宗教画から世俗画へと絵画作品が変化していく時代の中での過渡的作品とみなすことができょう。しかし,個々の作品についてより丁寧に観察するならば,単に時代的現象としての意味にとどまらず,しばしば,作品そのものに,そうした構図を取ったより内的な意味が認められる。近年,多くの研究によって,これらの「聖俗逆転の」構図をめぐって,その意味がしだいに明らかにされつつある。後景の聖なる世界と前景の世俗の世界の対比そのものに,教訓的メッセージを読みとり,世俗世界を越え,聖なる世界ヘキリストの教えへと我々を誘うものであるという解釈に世俗世界への偏重など当時の社会状況を映したものとし,安易な教訓的読み込みを斥ける論考がその代表的なものである(注3)。そうした研究が,様々な文献や図像資料を引き合いに,かなりの成果をあげる一方で、,しばしば,画家たちの残した多くの作品を一度に扱いすぎて,どこか問題を鮮明にしきれないうらみが残るのも事実である。アールツェンをはじめその後の画家たちが残した,こうした一連の作品は,その意味内容においても多種多様であるのであって,アールツェンのある作品とブクラールの作品は,成り立ちも意味も異なるかもしれないし,また,極端に言えば,アールツエンのある作品と別の作品で,前景と後景の対比の意味が同じとは限らないのではなかろうか。こうした観点から,我々は,先に50年代前半のアールツェンによる「聖俗委子
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