鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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ウicm署名と1559年の年記)で,もう一つはストックホルム国立美術館の所有する,カンヴァスに描かれた作品(122x 180cm)である。いずれも,後景に主題,前景に市場の逆転のj作品を取り上げ考察を試みた(注4)ので,本稿では,それに続く50年代後半ないし60年代はじめに制作された〈キリストと姦淫の女〉について取り上げたい。その構図の意味を考察するとともに,その主題が,それ以降どのように取り上げられていったのかを調べることを目的としたい。1 .ピーテル・アールツェンの〈キリストと姦淫の女〉アールツェンによる〈キリストと姦淫の女〉としては,少なくとも2点が知られている。ひとつはフランクフルト,シュテーデル美術研究所の所有する板絵(l22x177 光景を表した「聖俗逆転の」構図を取るが,ストックホルムのものが,やや後景場面が大きく,前景の人物の数を減じ両脇に分散するように配しているため,整理された印象を与える。これらの作品の意味は,しばしば2点同時に論じられる。すなわち,いずれの場合も前景に表された人々は,両足の聞に置かれた壷に手を入れる動作によって,また,鳥を差し出したり卵をかかえたりする動作によって,男女聞の性的行為を示しているとみなされる。それは,主題の内容とも関係し,キリストの教えの前で(にもかかわらず)肉欲にふける人々を表し,全体はそうした世界を越えて,主の教えへ向かうことを勧めるものと解釈される(注5)。烏や壷に性的行為ないレ性的器官の暗輸を読みとるこうした解釈は,他方反論も出されている。確かに,ある種の作例でそれらにそうした意味が認められる場合もあるが,それは,たとえば後代の話であったり,ここにそれがあてはまるとは限らないというものである(注6)。この問題は,暗輸が地域や時代でまた画家それぞれにどこまで共通のものであるのかという問いに還元されるであろうが,その問いに答えることは必ずしも容易ではない。ここでは,その問題はひとまず置くとして,今一度,作品に立ち返って,特に注意を払われることのなかった後景も視野にいれて,作品の意味を検討したいと思う。一見よく似た複数の作品を同時に扱う問題については前述したが,本稿では,問題を鮮明にするために,後期に制作され,より整理されていると考えられる,フランクフルトの作品にしぼって考察を試みたい。この作品は,新約聖書の場面を描いた後景部分〔図3Jと,野菜や家禽を商う人々

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