。。のいる前景部分に分かれている。後景ではやや色が抑えられているが,前景では濃い赤や黒が配され,対比づけられている。後景は,ヨハネによる福音書第8章2節以下に記された内容にもとづく。おおよそ,次のようにまとめられよう。イエスが,早朝,神殿の境内で民衆に教えていたところ,ファリサイ派の人々や律法学者たちが,姦通を犯した女を連れて来て,モーセが石打ちによる死刑を定めているが,どうすべきかと聞いただす。モーセの錠を守れば,ユダヤ人による石打ち刑を禁じたローマ法に触れることを利用して,イエスを試みたのである。イエスはそれには直接に答えずに地面に何か書いていたが,しつこく尋ねられたので,Iあなたがたの中で,罪を犯したことのない者が,まず,この女に石を投げなさい」と返す。これを聞いた者たちは一人一人立ち去っていった。一人残った女に,イエスは「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは,もう罪を犯さないように。jと諭した。作品では,両腕を捕まれて連れて来られた女を前に,イエスが身を屈めて地面の文字を指差している。周囲の皆はのぞき込むように,それに注意を向けているが,すでに数名は立ち去ろうとしている。このような,立つ女と屈んで地面の文字を指す(もしくは地面に文字を記す)イエスと立ち去る男たちによる描写は,ごく一般的なものである。ピーテル・ブリューゲル(父)による油彩作品でも,リーフェンス・デ・ウイツテによる木版画〔図4Jでもほぼ同様の構図が認められる。本作品を,それらに較べるならば,周囲の人物を左右に寄せ,イエスと女とをはっきりと中央に描き出しているのが特徴的である。この主題の作品の中には,女への敵意を表すように,またイエスの寛大さと対照をなすように,ときとして,ファリサイ派の人々と律法学者たちのうちに,厳しい呪み付けるような表情を認めることができるが,ここでは,そうした要素をほとんど認めることはできない。女への敵意が描かれないことに加えて,女の描写にも特徴を認めることができる。女は,遠目にはややうなだれているようにも見えるが,その視線はしっかりと地面の文字を見つめ,むしろ堂々と表されている。捕まれたその右手で,イエスの記した文字を指差しているのである。この主題において,女はしばしば胸元のあいたもしくは身体の線を出すような服をまとい,しなだれるような姿で表されるのと対照的である。後景に押しやられた,画面の半分以下の空間で表された「キリストと姦淫の女」は,基本的には一般的な構図を取りながら,周囲の冷たい視線やイエスへの驚きというよ
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