鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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hd戸り,姦淫の女そのものに注意が払われている。彼女がしっかりとした眼差しでイエスの文字を見つめ,その意味が深く伝えられている様子が表されていることが,その大きな特徴なのである。このように見てきたとき,我々はアールツェンによるある作品を思い起こさずにはいられない。おそらく本作品制作の直前に制作された,{マルタとマリアの家のキリスト}(ブリユツセル王立美術館)(図5Jの中にイエスの言葉を受け止める女性を認めることができる。この主題は画家によってですでに二度扱われているが,ここでは姉妹とイエスが大きく前景に表され,画家の作品としてはむしろ特殊なものとなっている。聖母も主たる位置を占め,姉妹の間で二人の誇いを案じ,その和解を願うかのように両手を合わせて表されている。そのことから,姉妹のそれぞれに代表される慎想的生活と活動的生活の融合を説くものであると解釈された(注7)。しかし,ここで聖母の存在にもまして特筆されるべきは,マルタの姿形であろう。マルタは,野菜や兎の入った篭を手に,キャベツを腕にはさみ,そうして右手には箸を持って,忙しく立ち働いている姿そのままに,イエスの傍らに座ったきり手伝おうとしない妹を叱責に来た様子が伝えられる。見下ろすように立ち,大きく伸ばした右手で指差して,強い態度で非難の気持ちを表している。しかし,その表情に怒りや非難の色はなく,妹を見るでもイエスを見るでもない。ただ視線を落とし,決して自分には加勢してくれなかった意外なイエスの言葉に心打たれ,動きを止め,深く考え込んでしまっているかのようである。詰め寄らんばかりに不満を訴えていた,先の二作品〔図6J (注8)におけるマルタとは,明らかに異なる造形となっている。ブクラールらによるマルタと較べてもこの表現は,深い内的思索にある人聞を伝えて異例のものとなっている。手にした様々の日常の品が不釣り合いに見えるほどの考え込みぶりで,プッサンによる〈アルカデイアの牧人たち}(ルーヴル美術館)の女性すら思わせるものがある。また,マルタは台所に戻るはずだったであろうに,なぜか右足を一段高くなっている床にかけており,むしろこれからイエスと聖母のいる段に上がろうとしているように思われる。すなわち,ここに表されるのは主の御言葉に心打たれ考える人間,言葉を内面化レ悔い改めていくひとりの人間の姿なのである。さて,それでは,{キリストと姦淫の女}C図1]に,そのような表現が認められるであろうか。女のしっかりした様子に,イエスの言葉を受けとめようとする意志が感じられることは前述した。しかし,そこにマルタに見られたような,言葉を受け,考

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