⑩ 御徒士町狩野家資料の調査研究研究者:東京芸術大学大学院美術研究科博士課程山畠真由美はじめに東京芸術大学芸術資料館音楽関係資料の一角に「狩野うめ氏寄贈Jと記された多数の粉本資料が発見された(平成10年)。また,御徒土町狩野家の菩提寺である信行寺(東京都台東区)において,狩野うめ氏が御徒士町狩野家の後喬狩野重次氏夫人であることが確認された。よって本資料を御徒士町狩野家関連資料と目し調査研究を行ったところ,これらが同家伝来の粉本下絵類であることが判明した。以下,本資料の調査成果を報告したい。l 御徒士町狩野家資料御徒士町狩野家とは,狩野休白長信(1577-1654)を祖とする表絵師と呼ばれる家系で,狩野玉泉応信(1842-1907)までその系図をたどることができる。(御徒士町狩野家系図)休白長信ァ休伯昌信T休碩友信L休円清信(麻布一本松家へ分家)初代の休白長信は,花下遊楽図(東京国立博物館)の画家として知られ,慶長期から江戸時代初期にかけて狩野探幽を中心とする柳営関連の絵画制作で重用された画家である(注1) o二代目休伯昌信も父に従い柳営関連の仕事に従事した(注2)。三代目休碩友信は,宮内と称し本郷御弓町に住んだ。享年六十九歳。厳有院(家綱)の代に御目見し,正徳元年五人扶持を頂戴し,享保六年享年六十九歳で病死したと伝えられる(r古画備考j)(注3)。四代目玉燕季信は,外記と材、し,休碩の弟であったが元禄十四年養子となり,正徳元年御目見,享保六年家督を継ぎ,寛保三年没,と伝えられる(r古画備考j)。五代目休伯寿信は,享保十一年御目見し,寛保三年家督を継いだが早世したと伝えられ,没年は不明である(r古画備考j)。六代目玉栄在信は,玉燕二男で長墨斎と号し,I寛延元年朝鮮来聴之節被遣候御扉風画筆者」には「一柳二1-1 御徒町土狩野家L玉燕季信T休伯寿信L玉栄在信休伯満信一玉円永信一玉泉応信(一重次)529
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