夫人うめ氏によって東京芸術大学に寄贈されたものである。その後,東京芸術大学芸術資料館に保管されていたが館蔵品としては未登録のまま現在にいたった。本資料の存在は結城素明の『狩野休伯長信の研究j(1934年)(注5)によって既に示唆されていたが,その所在は長く不明であった。結城著書に収載の「狩野長信夫妻像」が東京芸術大学に所蔵されていることから(東洋真蹟1255)同家伝来の絵画資料が東京芸術大学に保管されている蓋然性はあったのだが,音楽資料に紛れていたため今日まで知られることがなかったと想像される(注6)。菩提寺の信行寺を訪ね,狩野うめ氏についてうかがったところ,重次夫妻には跡継ぎがなく同家は重次氏の代で絶家したとのことであった。うめ氏は昭和五十年頃他家で他界したそうである。昭和二十一年という戦後の大変困難な時期に大量の絵画資料が,うめ氏によって東京芸術大学に寄贈されたと思われる。1-3 資料の概要本資料は全て紙本の絵画資料である。文字資料は袋裏のメモ類以外は,まったく含まれていない。技法は墨画,着彩画,淡彩画,画題は山水,人物,花鳥,仏画,古画の模本,写生図などで,粉本,縮図,模写,下絵,写生図類などに分類可能で、あるが,本調査では各資料の性格を判別する段階にはいたらなかった。形式は,巻子状のものと捲り状のものが大部分を占める。調査は,本資料が収納されていた各行李をA,B, C, D, Eとし,行李ごとに通番号をつけて行った。各資料の名称は表書きの題に従った。留書,銘文は全て判読することを課題とするが,目録には表書のみを表記した。([表〕目録参照)調査によって本資料は一部を除き,休伯満信,玉円永信,玉泉応信三代の筆になることが判明した。また多くを玉泉応信が改装したことも明らかとなった。資料の内容は,狩野探幽,尚信,安信,常信等の模本類が多い。また表絵師の家柄にふさわしく江戸城障壁画関連の下絵も含まれる。以下では,柳営関連の資料を少し詳しくみていく。2 徳川家御用関係の資料2-1 江戸城障壁画関連資料江戸城は,度々焼失し障壁画を新たに描き代えているが,本資料には天保九年西之丸焼失,天保十五年本丸焼失,および嘉永五年西之丸焼失時の障壁画改装の下絵が数531
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