鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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次氏のもとで徒士町狩野家関係資料を整理し出版したものという。残念ながら『玉燕・玉栄由緒書.1r口宣案』は,現在所在不明であるが,結城素明が関わった狩野家資料の調査と本資料が関連づけられる意味で興味深い。E-25 I玉円伺下絵J(包表「御譜請御用御衝建伺下絵JI実成院殿御用御扉風伺下絵」「御扉風須磨明石伺下絵J)(図6J 玉円永信が,御用で作成した伺下絵と思われる。例えば『公用日記』天保九年十一月三日の条に「一,西丸大奥御扉風筆者見込,今日進達ス西丸御広座敷御扉風御絵師見込申上候書付狩野晴川院,西丸奥御客様御用ー,金張附御腰扉風御扉風壱双両面右御用絵柄者追而奥より申上候旨,狩野玉固(後略)右之通ニ茂可有之哉ニ奉存,見込之処申上候,以上,十一月とみられるような,柳営関係の扉風・衝立の説えの際の下絵と思われる。2-2 徳川歴代将軍肖像画-番号C-7I御代々」「御代々」と題された模本は,徳川十四代将軍の肖像画粉本で,徳川家康から十四代将軍家茂までー揃いの肖像画の白描模本が収められている。袋表には,I家康公半身(筆者なし),二代台徳院殿秀忠公芝探幽,三代大猷院殿家光公上ノ永真,四代厳有院殿家綱公上ノ永真,五代常憲院殿綱吉公上ノ永真,六代文昭院殿家宣公芝周信,七代有章院殿家継公芝周信,八代有徳院吉宗公上ノ裕清,九代惇信院殿家重公芝裕清,十代凌明院殿家治公上ノ養川,十一代文恭院殿家祷公上ノ晴川,十二代慎徳院殿家慶公芝勝川,十三代温恭院殿家定公上ノ勝川,十四代昭徳院家茂公芝勝)IIJと各肖像画の所在と筆者名が記されている。歴代将軍肖像画に関係する資料としては新出のものと思われる(注8)。現在そのいくつかが失われている徳川将軍の肖像画,および各将軍の霊廟造営改築などの調査研究が今後の課題となろう。むすび一狩野派の終罵と玉泉応信について本資料を整理改装した狩野玉泉応信は,御徒士町狩野家七代目の当主であり,狩野重次氏の父にあたり,明治維新後は海軍兵部省に出仕した。明治十五年第一囲内国絵壱双唐子遊狩野晴雪壱双四季花鳥住吉内記(中略)弐枚折一535 狩野晴川院

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