⑭ 大元帥明王図像の彫像化に関する調査研究一一法琳寺別当職をめぐる安祥寺と理性院の動向一一研究者:町田市立国際版画美術館学芸員佐々木守俊はじめに常暁(?~865)が唐から請来した大元帥法は,護国の秘法として外国の侵略や内乱の際に修され,また玉体の安穏を祈念して後七日御修法とならぴ正月の恒例とされた。その本尊は大幅の画像6幅で,現在の醍醐寺本〔図1)は大元帥法を得意とした塔頭の理性院に伝来したものである。彫刻作例では,常暁が大元帥明王を感得したといっ秋篠寺に鎌倉時代の一面六腎像が現存する。そのほか,常暁が唐で描かせた大元帥画像をおさめて拠点とした小栗栖の法琳寺(京都市伏見区。現在は廃寺)にも,彫刻の大元帥像が存在していたことが近年の研究を通じ明らかになってきた(注1)。さきに筆者は法琳寺彫像について,常暁感得像という特殊な性格を担った図像の成立を中心に考察した(注2)。以下はその要旨である。白描図像や鎌倉時代の善峰寺本画像〔図2Jから像容を知ることができる。「化現像J,すなわち常暁感得像の表象とする。感得説話は彫像成立の背景として重要である。し,もとになった図{象の性格を読み替えるため,彫像化にあたって加えられたとみられる。の影向があったとの説話を伝え(注3),大元帥明王の出現を積極的に語っていた。大元帥法をめぐる三宝院流との確執があった賢覚は,自流の正統性を誇示するために化現像を発案した可能性が考えられる。法琳寺彫像は常暁の霊験を追体験する場として安置堂宇の大元堂を意識した,受容者の限られた信仰にもとづく造像とみなせる。また法琳寺大元堂は本来,公的な大法感得説話のほか,流祖の賢覚(1080~1156)が法琳寺別当であったときに大元帥明王(3) 法琳寺彫像の図像は足元に湧雲〔図3Jが表される。これは化現の瞬間を明示(4)彫像安置の目的は,常暁直系の主張と思われる。理性院流は造像の典拠である(1) 法琳寺彫像は真面を念怒面とする六面八管像で,平安時代末期の根津美術館本(2) 頼瑞撰『秘秒間答』は常暁の大元帥明王感得説話を引くとともに,法琳寺像を-546-
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