⑤別尊蔓茶羅の研究研究者:宝仙学園短期大学学長・造形芸術学科教授真鍋俊照密教憂茶羅は空海が中国より両界蔓茶羅を大同元年(809)に請来していらい,主として伝法濯頂に使用され伝承されてきた。両界とは胎蔵界と金剛界を指し,金堂内陣の東西の壁面に懸けるもので二幅から成り,両部一具(一組)と別称する。真言密教では,これに対して,別尊蔓茶羅と称する種々雑多な一幅仕立の長茶羅がある。別尊とは,両界量茶羅中の一尊を特別に選定して,それを本尊として個別に描き現世利益を目的とした修法を行う。興然(1120-1203)撰述の『呈茶羅集』三巻によると四十四種の別尊蔓茶羅をあげているが,実際に作画されたものは,それ以上に多いと考えられている。私は別尊蔓茶羅が,数多く増幅され描かれた時期が,実は南北朝・室町時代ではなかろうかと考えている。いうまでもなく別尊の分類は,平安末期の図像集である『別尊雑記Jや鎌倉期の『覚禅紗jによると,知来・諸経法・菩薩・明王・天部に大別される。そのうち諸経法や天部には南北朝・室町時代にのみ作画成立するものもあり興味深い問題が提示される。ところでインド・中国の別尊蔓茶羅の原初形態を考えると,その成立については必ずしもすべて解明されている訳ではない。しかし,雑密経典に断片的に説かれている構図を考えると,共通していることは,どの場面も諸尊が,ある中心をとりまくように描写されている点である。その中心に配置され,囲繰する諸尊は,その仏の神秘的な超能力などをほめたたえるように描いているのが通例である。その上で中心に位置する仏に現世利益を目的とする除災・除病など,人聞が生きるために障害とされるさまざまな事項が,祈願の対象となる。別尊蔓茶羅は,どちらかといえば,個人的な礼拝対象となるものが多く,中国では六世紀前半にその諸説が認められる。『牟梨蔓茶羅呪経j(梁代失訳経)には「各面十六腎の方壇を結界して,四方に四門を聞き,中心壇に千輯輪とこれに象徴される釈迦仏,左右に十二管金剛と摩尼伐折羅菩薩を配す。四隅に四天王さらに諸尊が諸門に安置されるjと説く。この蔓茶羅壇は,宝楼閣蔓茶羅の前身と考えられ滅罪法の本尊でもある。そのような流れの中で,空海により九世紀初めに真言密教が中国から伝来し,教義的にも宗団的にも日本の地に根をおろし,細かく発展的に流布してゆく時期がほぼ南南北朝・室町時代一一46
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