鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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GW.1589)及び4番「大阿呆J(18日-24年,GW.1576) (図5Jとの類似性も指摘でき1808-23年(注6),GW.1255) (図6J。熱狂的な巡礼者の行列とは一線を画す特徴的指摘している(注4)。〈サン・イシドロの巡礼〉がサトユルナーリア祭を表しているとの解釈は報告者にとってはやや疑問の余地があるように思われるが,少なくとも〈サトュルヌス〉及び〈サン・イシドロの巡礼〉と民衆の祝祭の世界は,関連性を有していると言ってよかろう。〈サトユルヌス〉のX線写真は,現在の絵画の下に,カスタネットらしきものを片手に両腕を広げ右足を上げた格好で踊るカーニパル的人物像が描かれていたことを示している〔図3J。彼の身振りは〈鰯の埋葬>(1812-19年,GW.970) (図4Jの前景右手で踊る人物の格好に酷似していると共に,版画集『妄.112番「陽気の妄J(1815-24年,ょう。一方巡礼はそれ自体,当時のスペインでは宗教的行事というよりもむしろ祝祭的で娯楽的な性質を帯びていた。また1822年のアカデミーの辞典によると,1巡礼と結婚式にはあらゆる気の狂った女が行く」という当時の諺は,1頻繁に娯楽に参加する女への悪評Jを表すために用いられていた(注5)0 <黒い絵〉の巡礼者たちの中には,乞食や貧民層の人々以外にも様々なタイプ・階層の人物像が含まれており,この中には数人の女性の姿も見出すことができる。とりわけ前景左手の白いマンティーリャを着け腰に手を当てた女性の姿は,最前景の集団から距離を置いて描かれていること,加えてより不明瞭に黒く塗られた彼女の背後の人々との対照によって,観者の目を引く存在となっている。このタイプの女性像は,いわゆる「マハ」的イメージとして戦前よりゴヤが頻繁に用いてきたものであるが,r素描帖c.lには同タイプの少女が「この娘は将来あばずれになることを願っている」との題辞を付されて登場する(1素描C.16Jなポーズで描かれたこの女性は,恐らくインモラルで享楽的な祝祭の参加者として表されているのであろう。先に述べた巡礼と同じく,ゴヤが戦前・戦後を通じて頻繁に描いた宗教行列もまた,当時のスペインでは祝祭としての性質を強く有していたことが指摘されているが(注7) ,宗教行列の祝祭的性格は,それ自体がカーニパルと同様,しばしば社会の権力構造や秩序への瑚笑・批判を含むものであった。18世紀のカタルーニャ地方の宗教行列に関する研究の一例を挙げると,行列を率いる2つの大人形は「下層民や貧民のみならず,この世で最も地位の高い倣慢な人々をも従わせる,キリストの普遍的な力」を-559

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