(1) 童子経蔓茶羅(重文)は鎌倉時代後期のものであるが智積院(京都市),絹本着色(2) 大勝金剛憂茶羅(南北朝時代)絹本着色ー幅,縦48.7cm横40.7cm(高知県金北朝・室町時代ではなかろうかと考えるのである。もちろん別尊蔓茶羅の流布それじたいは,平安中期・後期にはさかんになるが,現世利益に直接掛幅として使用されるものは,鎌倉後期・南北朝(1333-1392)・室町期(1338-1573)に多くの作例が残されている。〈ー幅〉縦93.8cm,横61.3cmがある。また室町時代の作例として教王護国寺(京都市)に伝来する優品がある。童子経とは,その名が示すとおり童子(子供)がうける恐怖(悪夢もふくむ)や治りにくい病気をとりのぞくために祈願する童子経法のことで,受茶羅図はその本尊である。古くから醍醐三宝院流で使われたものが多く,それらは阿闇梨の意楽(この場合,儀軌にとらわれずに作画すること)によるものである。現存している例は本図のほかに旧東寺本が知られているにすぎない。中央には童子の寿命を末永く保つように,また悪魔を追いはらう乾闇婆王を大きめに表現し,まわりに十五鬼神および十五童子がそれぞれセットで中心をとりかこむように描かれる。十五鬼神は順に画面の右上より右回りに弥酬迦(サンスクリット名はマンジュカ。以下同様)は牛形,弥迦王(ムルガラージャ)は獅子形(これより画面の右側へ),審陀(スカンダ)は鳩魔羅天そのもの,阿波悉魔羅(アパスマーラ)は野狐形,牟致迦(ムステイカー)は欄猿形,魔致迦(マートリカー)は羅利形,閤弥迦(ジャミカー)は馬形,迦弥尼(カーミニー)は婦女形,梨婆堤(レヴアティー)は狗形,富多那(ブータナー)は猪形,受陀難堤(マートリナンダー)は猫児形,舎究尼(シャクニー)は鳥形,提U{;婆尼(カニタパニニー)は鶏形,目怯蔓陀(ムカマンデイテイカー)は薫狐形,藍婆(アーランパー)は蛇形を描く。これら十五鬼神は『童子経念諦法Jと『護諸童子陀羅尼経』に説かれているが,それぞれインド起源の図像名であることは,サンスクリット名が一致する点でも明らかである。しかし蔓茶羅としての構成はこれまでわが国に伝わった系統とは異なるものである。平安時代に活躍した高野山の学僧成蓮坊兼意によると,この蔓茶羅の図像は中国(唐本)から渡来したものという。剛福寺)きわめて遺品が少ない大勝金剛を中心にした修法用の蔓茶羅である。仏眼量茶羅とほぼ構造が似ている。内院は八輯輪上に中心は十二管の大勝金剛が蓮花座の-47 -
元のページ ../index.html#57