3. 3年間の自由主義政権期における急進的自由主義運動と民衆の動きルJ紙は,既に創刊号で「大部分が職人,日雇い労働者,そして女性までもが加わって構成されたセクトJが回全体の代弁者になってしまうと危慎・批判し(注14),さらる。しかしカディス議会は一方で、,その構成メンバーにおいても決定事項においても,自由主義思想の実現については穏健で暖昧なものとならざるを得ず,特に宗教的問題における暖昧さはしばしば指摘される通りである。また民衆のゲリラの行動は,愛国者としての賛美を受ける一方で,時に理性的な抑制の利かない暴徒的なものでもあった。彼らによるフランス軍,及びナポレオン軍に協力した(または協力者と見なされた)一部のスペイン人自由主義者たちに対する攻撃は時に残虐を極め,ゴヤ自身,スペイン人ゲリラの残虐行為を『戦争の惨禍』のいくつかの版画に刻んでもいる。そして戦争終結に伴いスペインに帰還し,専制政治を復活させた国王フェルナンド7世を,民衆は熱狂的喝采をもって迎え入れた。このような経緯の中で,ゴヤの戦中の民衆像もまた非常にヒロイックな特徴を有している。しかし戦後に至り,フェルナンド7世の下で重用された王党派の新古典主義画家・彫刻家たちが,非常に気高い民衆像をっくり出すのと対照的に,ゴヤの作品からは戦中の英雄的民衆像は姿を消してゆく。ゴヤの作品史上0808年5月2日〉及び{5月3日〉からく黒い絵〉に至る期間は,スペイン史上において,戦争終結によるフェルナンド7世による絶対王制の復活から,1820年のリエゴ将軍のプロヌンシアミエントを契機とした3年間の自由主義政権に至る時期に概ね該当するが,この時期彼ら下層階級の人々はスペインにおいて,いかなる政治的・社会的存在としてとらえられていたのであろうか。自由主義政権の復活に伴いゴヤの反教権主義にも恐らく影響を与えたであろうアントニオ・リョレンテ等,多くの自由主義者の亡命者がスペインに帰還する。この時期の反教権主義的文学・流行歌・詩等は,しばしば極端なまでの誇張と辛諌で朗笑的な風刺を伴うようになる。一方憲法の復活と自由主義政権による反教権的諸政策に対し,聖職者の扇動による民衆の暴動が各地で起こっている。このような状況の下でとりわけ穏健派の自由主義者たちが最も強い危機感を訴えていた問題の一つは,同時期の急進的諸結社が多くの下層階級をとらえ,実力行使に及び始めていたことであった。自由主義穏健派の代表的新聞の一つ『エル・センソー562
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