鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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masa de los hombr回)は,熟考(reflexion)以外の言語を必要としているのだJ(注17)。4. 3年間の自由主義政権期における祝祭の政治性と,ゴヤによる巡礼者の解釈をめに61号では「手のつけられない者たち,下層民のごろっきたちの部隊と,いくらかの怠け者で構成されたセクト」が誠実な市民に恐怖を引き起こしていると糾弾した上で,以下のように続けている。i(急進派のセクトは)先の革命当初から秘密裏に,しかし飽くことなき熱望をもって活動し,我々を無政府主義のあらゆる恐怖に陥れ,法の忘却,権威の失墜,無秩序,社会の混乱,そしてついには狂気じみた,野蛮で,残虐で血なまぐさい,庶民(populacho)の専制主義に徐々に我々を導こうとしているのだ」(注15)。加えてこの時期のいくつかの証言は,下層階級の民衆が「量(マス)Jとして現実に既存の社会秩序を転覆させ,支配権を奪い取ることへの強い危機感がもたれ始めていたことをうかがわせる。医師ソラは「貧困者の大人数から成る階級,すなわち暴動を巻き起こし教養に欠く階級jは忍耐の限界を超えるともはや制御不可能で,1社会秩序をひっくり返してしまうであろう」と述べている(注16)0 rエル・センソール』紙は以下の言葉を過激主義者の主張だと言う。「国家を形成している人々のマッス(Laゴヤの戦後の作品,特にく黒い絵〉に見られる無数の人々の塊,理性と人間性を失った妄信的な人々の群れは,その「量jとしての力が今や現実に理性的世界秩序を破壊し得る存在として,画家の極めて同時代的・政治的な認識に根ざした表現を与えられていると言えよう。ぐってこのような急進的・過激的諸活動が活発化する中で,3年間の自由主義政権下における祝祭や宗教的行事もまた,戦前とは異なった明確な政治性をもっに至る。この時期には下層階級を率いた政治結社による,憲法を神格化する政治的宗教行列,専制王制と宗教裁判の「埋葬式jとしての宗教行列,また時にこれらを兼ねた宗教行列が,スペイン全土で頻繁に行われていたという(注18)。そしてこのようなデモンストレーション的宗教行列や祝祭は,しばしば民衆の暴動・反乱と結びついていた。1821年のスペイン各地の暴動を扱った記事は,1ある種の公衆的デモンストレーション,祝祭,宗教行列jが行われた同年10月24日を,1ジヤコパン主義者の反動の残虐な暦において記念すべき日になろう」と述べた上で,記事の直前に政府が「類似の小凱旋式や神格563-

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