鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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注【hu(1) Folke Nordstrδm, Goyα, Saturn and Melancholy, Stockholm, 1962, pp.192-201, (2) F. Nordstrりm,op. cit, 1962, p.221. (3) ただし,予備素描の〈サトュルヌス〉の姿は,これらの「サタン」のイメージと(4) Prici1la A. Muller, Goya's Black Paintings: Truth and Reason in Light and Liberη, トをつけた修道士たちが剣をつけて集まり,十字架の旗を掲げ,憲法の廃止を叫ぴ,行列をなして行進したという(注24)。例えば1822年4月のトラピスト会修道士に率いられた民衆の反乱は,以下のようにして始まった。「武器を取った村の住民たちが,僧侶たちの『信仰万歳!国王万歳!.1の叫ぴ声に率いられて行進しながら,聖歌を歌うトラピスト会士のもとに導かれていったJ(注25)。以上考察してきたように,3年間の自由主義政権期における宗教行列は,極めて直接的な政治的性格を備えるに至っていた。加えて,非理性的な民衆の大群は,熟考を伴わない容易な熱狂と「数」によって,当時の自由主義体制を暴力的に崩壊させる可能性をもって,急速に存在感を増して迫り来つつあった。〈サン・イシドロの巡礼〉の中に認められるブルジョワ風の帽子をかぶった男たちの存在,最前景の集団の中央の男の血走った形相などは,先に検討した政治的宗教行列への言及を推測させる。さらに,戦後のゴヤが描き出した「妄信」は,1無知JI!愚鈍Jのイメージを強調した戦前の作品(ex.r気まぐれ.153香「何てありがたいお説教!J 1797-98年,GW.557) (図11)には見られなかった,抑制不可能な狂気に満ちている。〈宗教裁判〉の聖職者たちのグロテスクな容貌と,1人間性を喪失したマッス」としての人々の群は,戦前よりはるかに暴力性と政治的意味合いを増した「妄信」に対する,ゴヤのより深い戦懐と批判の表現としてとらえるべきではなかろうか。※GWに続く作品番号は,以下のカタログ・レゾネによる:P. Gassi巴rand J. Wilson, The L俳andComplete Work of Francisco Goya with αCat,αlogue Raisonne of the Paint-ings, Drawings and Engravings, N巴wYork, 1971. 215-216, 218-221. は大きく異なっている。

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