鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(3)歓喜天蔓茶羅(室町時代)楠本着色ー幅,縦92.5cm横71.Ocm (個人蔵)歓喜んJI天尊Jなどと略称され,庶民に親しまれている。聖天供や歓喜天法の本尊の多く上に坐す。めずらしい十二腎の持物は二手が智拳印,左手に五鈷杵,摩尼,鈎,鋭,剣,左手に蓮花,掲磨,索,鈴,輪宝をもっ。この本尊の顔を見ると,上目づかいの異様な形相をとり,五仏宝冠をいただく。その四方下段右回りに渇磨,五鈷杵,三弁宝珠,独鈷杵,の三味耶形を描く。内院は四摂菩薩,外院は八供養菩薩を配してきらびやかな画面を展開する。図像は興然の『蔓茶羅集Jに載っているが,大勝金剛法という修法はありながらも,中尊の性格は明確ではない。尊格そのものの性格も複雑怪奇なところがある。なお京都・悲回院にも紺絹金泥本が伝来する。この大勝金剛の三味を説くものとして,大日如来から現じたものには違いないが,金剛智訳『瑞紙経』によると金剛仏頂と同体とする。とくに広沢流では愛染明王,醍醐流では大仏頂と同体であるという。また金剛王菩薩にも同じとする説がある。本図は図像が正確で、,とくに内院に描く周囲の四尊は『瑞祇経J第八に説く五瑞伽蔓茶羅中の四菩薩にあてることができる。すなわち正面下の勝金剛(持物は宝瞳),右まわりに金剛宝大庫(円鏡),金剛大染蓮(蓮花),金剛蓮花鈎(鈎)宝である。なお東寺に「大勝金剛蔓茶羅」の白描があり,醍醐寺には赤綾に金泥で描いた「大勝金剛憂茶羅図」(縦113.0m,横97.0cm)がある。これには裏書きに応永年間の修理銘があり,ともに鎌倉時代の遺品である。天はサンスクリット名をガナパティ(識那鉢底)といいインド神話に登場するシヴァ神とウマー(烏摩)妃の子で大自我天のグループを統率する。わが国では「聖天さは秘仏とされ,なかなか開帳されないのが通例である。全図は方形で,万治元年(1658)に土佐雅楽之助広信が描いたもので,内・外院の二重よりなる。中心は円相(月輪)内に四方にひろがる蓮花の花弁をとり,花のあいだに独鈷の刃さきを描く。中心は蓮台上に三管の双身歓喜天を配しておのおの左右の腕をとりあう。中央の双身三腎像は人身象頭で,四方の花弁には象頭二骨の同じ歓喜天が坐像で配される。北は両手を腹部の前にのばして弾指をきる姿勢。東は右手を胸前に歓喜団を持つ。西は右手に三鈷杵を持つ。南は左手に独鈷杵を持ち,それをふりかざす姿勢をとる。さらにこれらをとりかこむ円相の外には,四隅より中心にむいて四大神(固執金剛)を描く。第二重の外院は東北隅より右まわりに,①帝釈天,②火天,③焔摩天,④羅48 -

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