⑩ 福島繁太郎とそのコレクションについて研究者:山口県立美術館学芸専門監・普及課長安井雄一郎現在惜しくも国内外に散逸してしまった福島繁太郎(1895-1960)のいわゆるフクシマ・コレクションは,昭和初期にその一部が日本に将来,展観されたとき,美術家,とくに若い美術家たちに大きな刺激と影響を与えたと言われている(注1)。筆者はこのコレクションにまつわるいくつかの間心からlつのテーマ,すなわち大正12年から昭和8年まで10年間に及ぶ福島の滞仏時代の事蹟を検証することで「フクシマ・コレクションjの形成過程とその全容をあきらかにすることを選んだ。本稿はその成果を報告するものだが,このたびの報告はその第1段階として国内の文献等による事蹟整理で終わっている。今後,ひきつづきこの成果をパリの画廊,美術館などでの聞き取り調査や国外文献等とのつきあわせを通して事蹟整理をより正確なものにするとともに,この一連の作業で得られた成果は,ついで,できるならカタログ・レゾネとして整理するとともに,その全容解明を待って日本にもたらされた泰西名画コレクション史におけるその意義を考えること等に展開させていく計画である。福島繁太郎は,山叶詮券の前身となる株式仲買庖,福島浪蔵商店の創始者,福島浪蔵と妻多幾の2男3女の第3子長男として明治28年(1895),東京に生まれた(注2)。その後,東京高等師範附属中,旧制第七高等学校,東京帝国大学法科大学政治学科をへて大正11年(1922),国際法の研究のためにロンドン大学に留学するが,この年から昭和8年(1933)に帰国するまでのおよそ11年に及んだ滞欧期が,いわゆるフクシマ・コレクションの形成された時期にあたる。そのことについては後述することにして,まずその前史にふれる。福島は,東大在学中の大正8年に父浪蔵を失う。彼の生涯をたどると,事業家として一代でなした莫大な資産をのこして死去した父浪蔵は,さまざまな形で福島の生涯の前史を形づくっているようである。1つは,当時の額で200万という遺産を相続したことである(注3)。ほほ一生を無為に生きても余りある莫大な継承遺産は,これからみていくコレクション形成の前提となっている。(1) はじめに(2) 渡欧までの福島繁太郎572
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