1924年のモネ訪問に続いて2度めの作家訪問は,マティスで,大正14年(1925)のついで、福島はドランにつづいてマテイスの〈パイナップルのある静物〉を購入した。ドランの次に買ったと書いており(注8),おそらくその時期は1924年の秋からマテイス家を訪問する翌年の7月までの聞が想定される。画廊はドランとおなじベルネーム・ジュヌ画廊で,マテイス蒐集では第1作に数えられる。油彩ではもうl点,ヴラマンクがある。滞欧中(1921-25)の里見勝蔵の案内で里見が師事したヴラマンクをホーベール・シュー・オワーズの家に訪ね,40号の「船の油絵jと数枚の水彩を画家自身から譲りうけたというものである。このヴラマンク訪問を,福島は「たしか1923年の事と思うがjと書いているが(注9),そのおり購入した「船の油絵」が旧福島コレクション中の〈難破船〉に相当し,またこの作品を掲載する「みづゑ」の旧福島コレクション・カタログ(注10)中の1924年という同作の制作年が正しければ,この出来事は早くても1924年以後でなくてはならない。競売場への出入りが始まったのもまた1924年からのようである。競売場はカフェとともに美術家との出会いの場所でもあったようで,20号のキスリングが競売に出たのをセリ合ったのをキスリングがみていて話しかけたことから知り合い,親交を始めている(注11)。福島コレクションのなかで最も意義深いもののlつ,ピカソ蒐集が始まったのはその翌年の大正14年(1925)からである。この年の春,アポリネールの記念碑建立のため寄付画の売り立て会がポール・ギョーム画廊で聞かれ,福島はこの売り立てでピカソの〈婦人立像〉を競り落とした。ピカソ蒐集の第l作である(注12)。彼はこのとき初めて庖の主人にピカソを紹介され,言葉を交わすが,ピカソとはついには知人以上の関係には発展しなかったようである(注13)。また,福島が,ボエシ一通りのジョルジ、ユ・ベルネイム画廊の陳列窓ではじめてルオーの水彩作品を見たのは1924年2月だったと書いている(注14)。それから1ヶ月後,マドレン通りのドルエ画廊でのルオーの水彩個展で心が動かされながらもまだ迷いがあり,購入にむすびっくのは,その翌年の1925年,ジョルジュ・ベルネイム画廊で〈裸婦>(1905)を買ったときからである。ルオー蒐集の第l作となるこの作品は,当時の邦貨で800円位だ、ったという(注15)。7月5日,福島夫妻はクラマールの別荘にマティスを訪ねている(注16)。訪ねた日付も随筆に書いているところから察すると,マテイスとの出会いはよほとミ印象に残った574
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