鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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第2次滞仏期における蒐集対象の中心はルオーだった。まず,ベルネーム・ジ、ユヌ(4) 1926年-1931年第2次滞仏時代一一絵画蒐集の本格化のだろう。帰りにマルガレットを描いた線描デッサンを贈られたことも,マティスへの親近感を深めたに違いない。マテイス家訪問は,ピアニスト,ジル=マルシェクス夫妻の世話になるものだ、った(注17)。この年の夏というからマテイス訪問の直後と考えられるが,夫妻は,関東大震災の後始末のため,一旦ヌイィの借家を引き払い,アメリカ経由で帰国する。帰国後,福島は,梅原龍三郎がルオーのグワッシュを所持していることを知る。画商アシュランを介して購入した由で,福島がこのとき見たのは,<パラード(見世物小屋の客寄せ)} と〈裸婦〉でいずれもグワッシュだったという(注18)。梅原のもとでのこの出来事が,ルオー蒐集を促す一因となっているのは間違いないだろう。一時帰国した福島が単身で再渡仏したのは大正15年(1926)の4月で,5月にはパリに帰着し,ブールドネイ街に新居を見つける。この時から昭和6年(1931)4月頃までを,試みに第2次滞仏期と呼ぶとすれば,福島の絵画蒐集が本格化するのはこの時期である。それはニューヨーク経由での渡仏途次,ローザンベール画廊ニューヨーク支庖でアメリカの画家ジョン・クインの遺蔵コレクションからピカソの〈泉〉と〈風景},アンリ・ルソーの〈マルヌ河のほとり〉を購入したことに始まっている(注19)。画廊にルオーの油絵〈パラード}(1906年)を見つける(注20)。ルオー購入の第2作目になるが,以後,福島はヴォラールとの契約から漏れてアッシエール,ピエール・ロエブ,ヴァン・レールなどセーヌ左岸の画商に流れるルオ一作品を中心に買い集めていった(注21)。また,スーチンの絵がようやくポール・ギョーム画廊の飾り窓に掛けられるようになり,同画廊で第一線の作家扱いになったのを見てスーチンに確信をもった福島は,この年からスーチン蒐集にも着手する。そのギョーム画廊の飾り窓に出ていたのが,スーチン蒐集第1作になった〈兎〉で,このとき彼はピエール・ロエブ画廊に行き,「四十競位の牛肉の槍」をみてどちらを買うべきか迷った末にギョーム画廊の〈兎〉のほうを選んだという(注22)。ついでギョーム画廊で〈鴨〉を,さらに〈にわとり}<風景}<狂女〉と買いすすめたが,その後値段が急騰したため,結局,スーチン蒐集は4点で終わっている(注23)。-575-

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